作風と限界

歌詞を書けない原因の一つ、
「つまらないのではないか」
という恐れ。

私が書いたものって、いっつも、私だなーと思う。
驚きがないし、自分を越えられてない感じがしてしまう。
他の人の歌詞を見たり、文学評論を読んだりして勉強していると、
表現の世界はとても広くてエキサイティングで、
それに比べて私の世界はなんて狭くて単調なのだろう…
そんなふうに恐れ入ってしまう。
尊敬する作詞家さんはみな、
多様なキャラクターを、
さまざまなシチュエーションや物語や景色の中で、
イキイキとダイナミックに、鮮やかに、
そして何よりリズミカルに、描いている。
私もそうなりたい。そんな世界を作りたい!
なのに、それはあまりにも難しくて。
これが私の限界かあ、っていう気持ちと、
そんなの嫌だ!もっと広げたい!という苛立ちや焦り…

そんなに簡単には、世界は広がりませんよね。
家にこもって、家事育児仕事だけで大体終わってしまう生活の中、
そんなに簡単には…。
そこはこれから、少しずつでも努力をしていくものとして。
もしかすると、自分が「限界」と感じているものの中には、
音楽で言うところの手グセというか、
「作風」みたいなものも混ざっているのかもしれない、
ちょっと視点を変えて、そんなふうに考えてみました。
愛されれば作風、愛されなければ限界。
つまりそれは自分一人では判断できないということです。
文章を書かずにいるうちに、語彙が減ってしまっています。
歌詞を書かずにいるうちに、リズムを忘れつつあります。
本当はそこに、「作風」が宿るのかもしれないのに。
書いて、そして評価される、このサイクルを回し続けない限り、
下りエスカレーターに乗ったまま、どんどん降下していくのでは?

書こう。
ぴったりな言葉を探しながら。
リズムを感じながら。
ぎこちないこの文章も、公開していこう。
勘を取り戻すには、それしかない。
わかってたことを、今年は、改めて。
実践!