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梢画伯はこうして生まれた

おとむねこずえ、3さい。

こずえ「父さま!母さま!見てください!!」
父「ふむ、どれどれ……こっ、これは!」
こずえ「ふふんっ!かいしんの出来です!!」
母「まぁ〜!こずえちゃんお絵描き上手ねぇ」
父「そ、そうか?これはどう見たって……」
母「ダメよパパ、こういうのは褒めて伸ばしてあげなきゃ」
こずえ「……どうしたの?もしかしてわたくしの絵、じょうずじゃない?せっかく、がんばって、描いたのに……」ウウッ😢
父「あぁ!上手上手っ!なっママ?」😅
母「え、えぇ!とっても上手なクラゲね!」
こずえ「ありがとう、父さま!母さま!でもこれは父さまなのよ」ドヤッ
父・母「」


それからも、私が絵を描くたびに両親は褒めてくれたわ。

ピアノ、バイオリン、フルート、ギター、その他にも沢山。
音楽一家の乙宗家に育っただけあって、幼少期から楽器のレッスンは特に厳しかったわ。
もちろん小さい頃の私にとってはそれが当たり前のことで、厳しいながらも努力を続ける時間は充実したものだったのけれど。

そんな中、お絵描きだけはいつも両親が褒めてくれる、いわば心のオアシスだったわ。
私の描いた絵で両親が笑顔になってくれる。
それが嬉しくて、そんなお絵描きが大好きになるのは当然の流れだったと思う。
模写という対象物の特徴を忠実に捉えて描く技法をマスターしてからは、両親はさらに褒めてくれるようになり、私は私の絵に対する自信を深めていったわ。

ただ、描いた絵を見せた時の両親が一瞬蛇に睨まれた蛙のように硬直して、顔を見合わせながら小声で何かを呟いているのはずっと気になっていたのだけれど。
それは私の画力に圧倒されたから、きっとそうに違いないわね。


──幼少期から音楽一家の娘として厳しく躾けられ、不断の努力によって乗り越えてストイックさを極めた乙宗梢にとって、褒められないものはすなわち苦手なものであった。
いや、彼女にとっては苦手なものはこの世に存在せず、全ては得意になる途中のものであるが。

しかし、昔から両親に大袈裟に褒められてきたお絵描きだけは、生まれもっての特別な才能、すなわち自信を持って得意だと言えるものであった。

こうして生まれた梢画伯は、蓮ノ空スクールアイドルクラブの可愛い後輩たちというパトロンにも恵まれ、独特な写実的技法を駆使して今日も怪作を生み出し続ける。
いつか金沢21世紀美術館で個展を開くことを夢見て。

おしまい

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