心療内科に行ってみた・・・六十歳ってなんだろう。
タイトルかタイトルなので、もはやその項目で作った方がいいのではないかとか、思ってしまうのは昔からの私の悪い癖だろう。
ついつい、【しっかりと分類分けできている】のがかっこいいと思ってしまった時期があったのかもしれないが、思い出そうとしても思う出せないあたり、いい加減なもんだ。
それ以前から傾向が出ていたのは確かだが、六十歳を迎えて初めて「発達障碍」だったり「鬱」だったりがやってきて「こんにちは、どうぞよろしく」をされたわけだ。
とはいえ、鬱に関しては実は二度目で、育児も盛んな頃に「母親たちの渦巻く流れの中で」引っかかったことがある。
子供が他のこと違うことをしても、「そりゃそうだ別人だもの」と思いながらも、「でも同じことをさせないといけないのかもしれない」などと考えて、次女が不登校になりかけた小学五年生の頃、「意を決して転校だ!!」と思った私にまず「旦那」が反対する。
理由は「逃げることを覚えさせてしまうのではないか?」ということ。
私的理論では、怪我するかもしれない(実際してた)場所になぜに凸らねばならないのかという。
実家の私の両親も「それはどうなの?」と反対気味であった・・・この私の親が反対をする。
とはいえ、考えてみれば障碍を持った息子をこの学校がダメだからと転校などそんな簡単なわけでもないから、抜き出て行けるならそのようにだったんだろう。
そして義母も同意見だった・・・
はてさてそうすると義父もそうだろうなと思いきや「そんなダメな講師のいる場所にいつまでもいる必要はない」と、唯一味方になってくれたわけだ。
役所にゆき、転校の申請をしていると役所の方が言う「本当に転校されるんですか?学校に問題があったとなってしまいますが・・・」
いやちょっと待て、問題があったから意を決したのだ・・・・聞いてたか説明???
無事、五年生1学期初っ端で転校した・・・何がおかしかったって、いじめていた女子達が「なんで転校しちゃうの?寂しいよ」と号泣したと言うことだろうか・・・
これに関しては、本人(次女)も「はぁ?」とかなっていた。
そんな中で鬱になって抜き出て「子供らを守らねば」となり、ひたすらに走ってきた毎日。
ちょっとしたことで、足に蝋をこぼし20針以上を縫う目にあっても、松葉漬けついて学校に行った・・・
そんな鬱さん、お久しぶりです・・とはなったのだが、その時の鬱さんとは少し勝手が違うようで、「姥捨山ってどこにあるんだろうね」とかほざいてくる。
心の向こう側に「寂しい」がヤマビコのように鳴り響いている。
60にもなって、何を情けないことをと思ってしまって仕方がない。
しかし、100歳時代・・・折り返しは無事に折り返せたのだから、まずまず上出来だとは思う。
還暦・・・還暦とは・・なんのこともない、干支を60迎えたそれだけの話だ。
60にもなってな人もいるし、60なのにな人もいる。
人間様々。
自分を励ますことも加えて、出かけよう。
自分らしいオシャレは何歳からでもできる・・なんと言っても今が1番若いのだから。
化粧をするかどうかは、アトピーもあるから眉毛トリップだけにしておこうw w
夢夢忘れるなかれ、幾つになっても私は私、あなたはあなた。
あなたの価値観が私のことを認めなくても、私は私の価値観で生きていく。
思い残しをしていたのでは、折り返しをした年代取り返しはつかないのだ。
60歳・・・面白く生きてゆきたいし、発達障碍とも鬱とも仲良くはあまりしたくはないけど、うまく折り合っていこう。
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