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塩売り・貰い親

その昔、と言っても東京が東京と呼ばれる頃にもあったので、それほど遠いことでもない。
言葉としては「塩売り」と「貰い親」は内容はかなり似通っているので、同じ項目として書き出してみる。

塩売りは九州地方の風習だったとされていて、貰い親は割と全国に置いてあった事柄。

九州の塩売りの場合、育ちの悪い子や知恵のつき過ぎた子供を街頭にわざと捨てて、塩売りにすぐに拾ってもらうという方法だそうな。
盆暮などに海浜に住む人とかが、塩や海産物を農村に売りにきて、帰りには餅を買って変えるという時代に、これが行われていたそうだ。

ただ、この塩売りは霊的なこともしていたとされ、ただの行商人というわけではなかったらしい。

同じく、貰い親・・または「拾い親」
親の方が拾われている。

東京をはじめとして全国的に広まっていたのは、どこか厄除け的なイメージがある。
42の2つ子と良い子を育てようとする願望の1つともされている。
父母の厄年に生まれた子を捨ててあらかじめ頼んでおいた人に拾ってもらうというものだ。

男子42歳の厄年を気にした行為であるともされるし、わがまますぎたり乱暴者すぎたりすると一旦捨てられて拾われる。
先の塩売りとは少し違っている面は、塩売りの場合はすぐに迎えるが、拾い親は1晩頼んだものの家に泊めて、迎えにいくというものらしい。

どのくらいの年齢かと考えるが、乱暴者であったりよく育たないとすると、2〜4・5歳くらいではないだろうか・・
とすると、乱暴者だったり我がまなな子の場合、「親に捨てられた」と思うだろうし、迎えにきてもらったら嬉しくて「これからいい子になろう」とするかもしれない。
なかなか、ハードな教えでもある。

しかし、塩売りにしても貰い親にしても「そのまま頼んだ人が子供を連れていなくなる」なんてこともあったものだろう。

よく育たぬという点では、江戸時代など男子は病気をしやすいとも言われていたのだし、武家では5歳になるまでは「捨てた名前」として幼名などを持ち、5歳になった時に改めて名をつけて育てることで病を抱えた弱い子供は捨てたのだから、お前は拾い直した子だ・・だから丈夫に育つという印象を持っていた行動だったのだろう。

ある意味、親心ではあるが子供にしたら「冗談じゃねぇ」と思うことは少なくなかったんではなかろうか。

その昔、小さい子を占いするものとして連れて歩いた大人がいる。
これを子供を売るなどと・・という人もいるが、その当時、子流しや口減しされるのではなく衣食住を与えられるのだとした場合、まだマシだったわけだ。

無論、その時にそうされた子供自体に話を聞かねば、良かったかどうかはわからないものでもある。

古今東西・・子供を育てる親も、そんな親になってしまった本人も、その子供であった子も必死だったという話。


とっぴんぱらりのぷぅ

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