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心療内科へ行ってみた・・カサンドラ

以前、私自身もなりかけたと言ったら、言い過ぎかもしれないがなりかかったことがある。

「カサンドラ症候群」

え?何それ・・・と思う人もいるだろう。
パートナーや身近にいるものが自閉スペクトラム症(ASD)であった場合、ストレスから適切な対話や関係性を作ることができず不安障害や抑鬱状態になると言った症状を示すものらしい。

まあ、今となっては私も旦那も(旦那はテコでも医者にいかねぇけど)おそらくASDではあるので、ASD vs ASDなわけだ。
しかし、私は昔からそれを知っていたわけではなく、旦那の行動の怒らせてしまう面やうまく立ち会えないのは「私のせいかもしれない、ちゃんとできないからだ」と一時鬱になっていたことがあった。

幸いなるかな、私は根っからの本好きで本屋で一生懸命それに対応できるように本を探した・・・
子供が生まれた時も一生懸命本を読んでいた。
両家の両親が助けてくれないのかと言えば、助けてはくれるけどなんともとっ散らかった家族なもんでw w w

そんな中、発達障碍を持とうと、鬱になろうと、生きていてくれる娘たちに感謝しかない。

さて、カサンドラの流れになっていたのはなぜだろうと振り返った。
その理由は先だって旦那との話がうまくいかず、本当にお互いが言葉が足りないことで旦那(男性優位の威圧感)で、私の中のトラウマが復活していたわけだ。
そのせいで、夜寝る前のお薬を飲み忘れ、翌日のひどいこと・・・・

ああ・・・自分はやっぱり鬱なんだ・・・と思ったもんだが、私の楽しい友人たちや娘たちがそっと手を差し出してくれていた・・・
ちなみに旦那の性格は、助け舟を出すかのように手を出して、そっと手を出し取ろうとすると、いきなり手を叩き落とすようなタイプだ(笑)

そして、昔から娘が四歳の時に旦那の件で「もうだめだ」と号泣したことがあった。
その日のことを娘は今でも覚えている・・・

私の中のトラウマは、同じく四歳の時妹がこの世をさり、小さな棺桶に入り石で棺の端を打っていた姿・・・
なんで?
どうして?
なんでちーちゃんをしまっちゃうの?
なんで?
なんで?なんで?

これが最初の大きなトラウマ・・・
障害のある弟はこの時はまだ寝たきりだったし二歳だったから覚えていないだろう・・・

両親の夫婦喧嘩も弟は耳が聞こえないから叫び声は聞こえない。
なので、見せないように覆い被さって、見せないでいた・・・

そしてアルコール依存症になった父。
大人になって、思えば・・・私の上の兄が流産し、私が生まれ、弟に障碍があり、妹が亡くなり、その下の弟が2人流産した・・・
同じ頃、12人兄弟の末だった父の最愛の母が世をさった・・

そりゃ、大の男であったとしても打ち砕かれ逃げたくなるだろうよ・・と、理解はしていたが、何を思ったのか呑んで幻覚を見ていた父は私を見るたびに「この人◯し」と連呼することがあった・・・

その後、中学3年時代、あまりに父の態度が悪かったので、殴り合いの喧嘩をした・・・
いまだに覚えている・・・クロスカウンター・・・
犠牲者はお互いの眼鏡(笑)

そんな中、旦那との会話で妹のことや父のことが頭をよぎり・・・心がパニックになった。
薬を飲み損ねたから余計酷かったんだと思う。

でもね?
ギリギリカサンドラを抜け出し、旦那とどうにかこうにか暮らし、その間にさまざまな勉強もし、中卒で、特にどうっていう人間じゃないけど「生きて、生きて、生きている」

だから、あなたが落ち込んだ時、きっと苦しいこととは思う。
でも、大丈夫、こんなポンスケが生きている。
あなたもきっと、抜け出せる。

母がよく言っていた・・弟のこともあって言っていた。

「お日様によく当たりなさい。神様も悪魔も何もしてはくれないけど、お日様はあなたが忘れなければいつでも光って照らしてくれる。昼間が苦手なら夜少し庭でのんびりしなさい、お月様が見ててくれるよ。」

私も娘たちに、困ったら外に出てお日様に当たりなさいとよく言っていた。
家から出られないなら、窓だけでいいから開けてね。
まあ曇りとか雨の時もあるけど、宇宙で言って仕舞えばいつでもあなたを守ってみててくれてるよ。

きっと、大丈夫。

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