習作

開演前、不穏なほど暗い室内に、聞いたこともない洋物の音楽が垂れ流されているこの時間が好きだ。

 ステージ袖の雰囲気や、雑然と並べられたエフェクターに色気を覚える。患ってるような店員が入れるなぜか甘い生ビールも最高だ。担がれたギターが歪めば、ドラムセットが共鳴してヂヂヂとなる瞬間がたまらない。音楽は直接的過ぎて、まるで自分が大きなものの一部になったかのように感じる。余白の中に、ありったけの倍音を詰め込んで古兵のような気分で生きていられる。借り物の安全性で夜を終えることができる。叫びたいことも特にないのに、それっぽい、それっぽさを、求められるから、

 この曲は、生きることを前提として作られているからたまらない。話を戻そう、ライブハウスで出会った女はそうおれに話しかけてきた。更に続けて、正常な体位で音楽を聴くんだね。とも。

 まったくもって意味が不明瞭だが、トラブルも御免なので曖昧に頷きながら躱す。向こうもそれきり興味を失ったのか、刻むハイハットに体を揺らしていた。耳にはイヤホンをぶっ刺しながら。ますますもって意味が不明だ。曲が終わる。ああ、楽しかった。その筈だ。はて、なぜその筈なのか。

 出入り口に屯する出演者たちをかわし駅前へひた歩く。駅舎近くになると、ゴトンゴトンと車両が遠のく音。一つ電車を逃したか。しかたない、と駅向かいの喫煙所へ向かう。安ライターの具合をヂッと確かめながら、口に咥えた紙巻きへ点火。肺胞へ煙を廻していると、目の前には先程のイヤホン女。目礼をすると、ヤァ、との掛け声とともに近寄ってきた。

「もう会えないかと思ってた」

「……とくに話していないじゃないか」

「え?」

イヤホン女が、聞き取れなかったような仕草。

「人と話す時は、音楽聞くなよ」

「ああ、ごめんごめん。これは何も流れてないよ、耳に刺さってるだけ」

「そうかい」

 紫煙を深く吸い込む。汗と人の匂いが染み付いたおれのジャケットに、日常の匂いが足されていく。

「ところで、あんた。おれのこと正常な体位で音楽を聴くって言ってたけど、あれどういう意味だい」

「うーん……海に、行こうよ」

「海の意味が?」

「わからなくてもいいよ。今日まだ見てないでしょ」

 夜の繁華街は、こういう手合いに出会すと煩わしい。この後は金がどうのという話になるだけだ。くだらない。

 まだ残る煙草を揉み消して、喫煙所を後にしようとする。それを遮るピアス女。

「ちょっと待って!これを見て!」

 差し出された携帯端末の画面には、クラウドファンディングで正常になる、の文字。ますますもって意味がわからない。

「正常を、探しているんだよ。わたしは。あなたはとっても正常だから、わたしの正常を一緒に見つけてくれると思って」

 ゴウッと急行が駅を通り過ぎる。その灯りで、はじめて、おんなの顔を真っ当に見る。異常なまでに正常な、くっきりとした目鼻立ちの女に、おれは。おれは。

短歌と掌編小説と俳句を書く