ズッポシ

「銃口がしゃべっている」

そう告げるSの手には回転式改造拳銃、(たしかズッポシと呼ばれている類のものだ)おれが蹴飛ばした玄関扉から微かに入る廊下の電灯で、鈍く光る改造拳銃、ズッポシ。

「銃口がしゃべっている」

「わかった、わかったから」

まずは落ち着かせなくては。なにか、なにか無いか。鈍色の鉄から目を離さず、重心を前に傾けたまま男の部屋を探る、少しずつ室内の暗闇にも目がなれてきた。背後からはカチリと音。廊下電灯の鳴りだろうか、寝たばかりの赤子よりも繊細な人間が一匹、ここにはいるんだぞ。と、目の端にとらえたのはハイライト。

「なぁ、なぁ、煙草。吸うのか、おれもだ。ちょっと、一服しないか」

おれの存在を認知しているかどうか怪しかったSの目の玉が、やんわりと胎動した気がする。いける。いけなくても、選択のしどきではある。

「な、ほら、おれも、煙草を出す。煙草だからな、煙草だ。ゆっくり出すから」

そう告げて、背広の胸ポケットから赤ラークをゆったりとした動作で取り出す。

「置くからな、ここに、置くぞ。ほら、置いた。次は、ライターを出すから、ライターが出たら、二人で一服しよう。いいな、これは、ライターだから」

Sの目からは先程よりも強い光を感じる。先程の数倍も遅い、式典でドレスを纏っているかのような繊細な所作でライターを取り出す。

Sの目は、ライターに釘付けだ。

少しばかりの静寂。カタン、と部屋の隅から音がする。冷蔵庫の製氷のような音、少し安心する。これから短銃で何かをやらかそうって人間が、氷なんぞ作らない。そうだろう、そうだろうと自分を鼓舞すると、不思議と緊張が良い重心を保ち始めた、素早く、正確に動けるように。

Sの目線がライターから、おれに映る。カタン、カタン。製氷の音がする。Sは何かを言おうとしている。聞け、聞くんだ。人の話を聞け、動くな。重心は前のまま。

Sが口を開く。

「なぁ、あんた。あんたさ」

「ああ、なんだ。」

「なぁ、知っているか」

「何をだよ」

「画家さ、洋画家。好きな洋画家はいるか」

「いや……」

「そうか、おれはさ、おれの話をするよ、これから」

「ああ、聞こう」

Sの声のトーンは気怠く眠そうだが、手に持った改造拳銃は固く握られていて微動だにしない。銃口はまだ喋っていない。Sは続ける。

「あれはいつだったかな、東京の……暑い日だったような気がする。絵を見に行ったんだよ、都心だ。ビルの熱が、乱反射した日だった。そこで、絵を見たんだ。美術館っていうやつだな、そうすると、ジェニファーがさ。ああ、ジェニファーってのはその時の連れで、どう見ても日本人なんだが、初めて会ったとき、ジェニファーって呼んでくれって、二万円握りしめてさ。栃木でさ。まぁいい、そいつがねぇこれ見て、変な絵って言うんだよ」

「ああ」

「おれはさ、絵なんてわからないわけだ、早く外にでて、煙草でも吸いたいってね。ジェニファーだって、美術館に行ったのは一度きりだ、まぁたしかなんだ、その後は行方知れずになったから、俺は関わっていない行方知らずになったから」

「ジェニファーより、絵だろう、絵の話がしたいんだろう」

「ああ、そうだった。その変な絵っていうのを見てみたらさ、まぁヘンテコなわけだ」

「どんなふうに」

「そうだな……。まず、人の顔がぐちゃぐちゃなんだ、絵筆で何層にも塗ったように、あとは、何をしたいのかよくわからない、逃げたいのか、止まりたいのか、不安なのか、幸せなのか、さっぱりなんだよ。ああ、ああ。なぁ、おれは喋りすぎか、俺はしゃべりすぎだろうか」

急に、何かを思い出したようにSはこちらに問いかける。

おれは、少しずつだがSに肉薄していた。

「いや、いいんだ。それよりも、気になる。続きを聞かせてくれないか」

少しずつ、わずかに、手の届くような、そうでもないような、そんな距離へと近づいていく。

「続き、続きか。そうだ、絵を見たんだ。その絵を見たら、なんだか、煙草が吸いたくなって、右ポケットのライターに手が伸びたんだが、気づいたらおれは紙巻きじゃなくて、目の前の絵に火をつけようとしていた。なんでだ、あれはさ、嫌とか、そういうのじゃないんだよ、介在されたんだ、昔の絵が。おれを。警備員だなんだが集まってきたよ、それでもおれは、諦めなかった。介在されたんだ……」

間。カラン、と作られた氷が落ちる音がする。Sの目ははっきりと俺をみている。何かを、言葉を求めている。そんな目だ。おれはその目にしっかりと応えたままゆったりとした動作で改造式短銃の回転部を掴んでいた。Sの利き手は抑えられている。おれの重心は、十分な緊張感を持っている。

「そうか、それで……おれは……おれも煙草が吸いたくなってしまったよ。なぁ、一服しよう。もっとゆっくり話を聞かせてくれ」

そう告げて、Sの手から短銃をゆっくりと、しかし力強く剥がしいてく。固まってしまった指の一つ一つを解すように。

「……ああ、いいよ。あんまり、痛くしないでくれよ」

「これをもらったら、もう終わりみたいなもんだ」

「そうか、あんたは、そう思うんだな……なぁ、ちょっと顔を洗ってくる、煙草、先に吸っててくれ」

そう言い残すと、Sはパッと短銃から手を放し、対面にある扉へと進んでいった。短銃の銃把は汗で湿っていた。弾丸を取り出す。奥からは水が流れる音がする。もう少し。もう少しだ。赤ラークから一本を取り出しトントン、と机に軽く叩きつける。先ほど取り出したライターを手に取り、親指を擦る。

出が悪い。BICと書かれた安物ライターに、何度か指を擦り付ける。ボッと頼りない火が出た、と同時に大きな衝撃音が扉の奥から響く。

慌てて洗面所の扉を開けると、そこには鏡に貼り付けられたフランシス・ベーコンのポストカード一枚、ズッポシと呼ばれている改造拳銃が一つ。介在された、男が一人、横たわっていた。顔がぐちゃぐちゃになって。この改造拳銃の火薬は、多すぎる。そう思った。

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