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夢に助けられる、という不思議な体験

無数の星がきらめく広い宇宙の中にわたしはいて。

わたしの前に、ある星があらわれる。(それで自分も星であると気がつく)

「ぼくは行くよ。何処へでも行けるし、何処まででも行ける。
だからもしかしたら、またいつか君に会うこともあるかもしれないね。」

そう言って、星は何処かへ飛んでいく。

「いいなあ。わたしも何処かへ行きたいなあ」

と、わたしは小さくなって消えていく星を目で追いかけながら、心の内でつぶやいている。

気がつけばわたしの横にも星がいて。

「何処まででも行けるというのは、此処にいるというのと同じことだよ」

とやさしく微笑む。

そこでわたしは目を覚ます。

夢に助けられる、という不思議

17歳のころに見た不思議な夢。

そのころわたしは、小さな田舎の町でくらす高校生で、なんとなく息苦しさを感じながら日々を過ごしていた。

「何処か遠くへ行きたいなあ」という漠然とした思いと、「何処へ行きたいのかもわからない」という現実のはざまでゆれていた。

その夢はとても鮮明で、印象深かったけれど
「何処まででも行けるというのは、此処にいるというのと同じことだよ」という言葉は、正直意味が分からなかった。

けれどもその後、繰り返し何度も、わたしを助けてくれたのはその言葉だった。

就職先がなくアパートの1室で不安に押しつぶされそうだった夕下がり。
仕事へ行くのがつらくて、電車を降りてしまった朝。
婚家になじめず、子どもを連れて実家にかえろうかと思いつめた夜更け。

「何処まででも行けるというのは、此処にいるというのと同じことだよ」

その言葉でわたしの心はふわりと軽く、自由になる。

わたしは新しい場所へ踏み出すこともできるし、此処にとどまることもできる。
思い立てば何処かへ行ける自由もすばらしいけれど、此処にいて自由だと感じられることもすばらしいと。

脳が心を救う?

ずいぶん前のことだけれど、TVでお迎え現象(人が亡くなるときに、すでに亡くなっている大切な人が天国から迎えに来てくれたと話すこと)について、死の恐怖を和らげるために脳が見せているのではという考察をしていて、なるほどと思ったのだった。

とすると、わたしが星になった夢も、大人になって社会に出ていくことへの恐怖や不安を和らげてくれるために、脳が見せてくれたものだったんじゃないかと思う。

普段のわたしはひどいうっかりもので、仕事帰りに反対行きの電車に乗ってしまったり乗り過ごしたり、子どもの習い事や通院の予定を間違えたりはしょっちゅう。
そんなわたしの脳にしては、いい仕事をしてくれたものではないか。
心理学的に考察すると、いい仕事をしたのは普段のわたしではなくて、「無意識のわたし」になるのかな。心の友よ、いつもありがとう。

#私の不思議体験

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