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怒りを貪らない、ということ

「あー、色々言われてるなー、ってわかることあるよ。聞こえるか聞こえないかの距離で言ってるからね。」娘からポロっとこぼれた言葉。女子は大変だ。

「へえー。そんなときはどうするの?」

「どうもしない。言うひとは別なことでも言ってるし。たまたま私のときか、そうじゃないかっていうだけ」

「ふうん。距離をとる訳だ。あなたの年でそんなことができるなんて、すごいね」

「そうかな」

「うん。たまに患者さんともそういう話になるんだけど、、、」

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生きている限り毎日、耳には心地いい音も、耳障りな音も飛び込んでくる。
悪口のたぐいは全体の音の一部分でしかないのだけど、自分の体調が優れなかったり、気分が落ち込んでいるときには、それを大きく拾いあげてしまうことがある。

それはまるでラジオの周波数をあわせるようなもの。
わざわざノイズだらけの局にボリュームをあわせて、それを聞き取ろうと耳をそばだてることはない。

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「お母さんはほら、格言好きだから。お釈迦様の

怒りを抱くことは、自分が毒を飲んで、相手が死ぬだろうと期待するのと同じことだ

っていう言葉を思い出すようにしてるの。何でそんなこと言うんだろう、とこちらが思っても、相手には相手の成長するペースがあるんだし。なんなら来世で悟るテーマなのかもしれないし。それが自分と同じじゃない、って腹をたてることもないと思うんだよね。」

「うん?だから気にしてないよ」

「そうだね。あなたの年で、わざわざ聞き取ろうとしないことを選べるなんてすごいね。ただ言っておきたかっただけ」

悪口は、なくならない。これからも時々ゆらめいて、あなたの人生に現れることでしょう。願わくば、あなたを愛し尊重してくれるひとに囲まれて、あなたが優しい声を受けとるチカラをなくさないようにして欲しい。

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