店長さんの話

先日、とても面白い記事を読んだ。

こちら。

ちょっと話題にもなっていたので、ご存知の方も多いと思う。

私自身も、Twitterで知った。

後日談、となっているけど、記事の中に、この前段がリンクしてあったので、

良ければ そちらから 読んでいただきたい。


今回のタイトル、店長さんの話。この記事を読んでいて浮かび上がってきた記憶。

私自身が、店長さんになりかけた話を。


とは言っても、カッコイイ話ではない。

なんせ、逃げ出した話なのだから。


もう何年前になるだろうか。娘が小学生だったから、5年くらい前になるか。

私は、ある和菓子屋さんで働いていた。

私が入った頃は、店長さん、先輩さん、社員さん、マネージャー…だけだっけ❓

社員さんは割とすぐに 辞めてしまわれた。

マネージャーは、他の店舗も面倒をみており、ウチの店の常勤という訳ではなかった。

和菓子屋というのは、季節感をなにより大事にする。お菓子で季節の移ろいを表現するのである。

私たちパートさんも、お店作りを一緒に(と言うより、私たちが主体で)やっていた。

壁に貼るポスターや、紅葉や朝顔なんかの造花、横長ののれんみたいな 商品紹介のポップなどを出して

季節の和菓子や定番のお団子やおはぎなんかを売っていた。

おはぎは 手で握ってたなぁ。

店内で最後の工程(焼く、蒸す、飾り付ける、など)を施して

開店準備をする。


すべての商品には、作業順やアレルギー物質、原材料などを書いたレシピのような資料が存在し

お客様に何を聞かれても答えられるようにしていた。

たまに、コラムのような ひと口メモ的な読み物も付いており、

けっこう勉強になった。(みたらし団子の数は なぜ4つなのか、とか)


しばらく その体制でいたんだけども、店長さんが、家の都合で辞める事になり、

次の店長を決めなくてはいけなくなった。


当時、夜勤務のパートさんと、18時までのパートさん、17時までの私、

14時までのパートさんとおり、なるべく長くお店に居られる人を との事で

私か18時までのパートさん、どちらかに店長をと言われた。


マネージャーは、小百合さんでいいんじゃない?と言っていたが、18時までのパートさんが、

俄然 対抗意識をむき出しにしてこられた。

なんせ私の親くらいの年齢の方だったため「小百合の下なんぞに付けるか」という所だったのだろう。

私は他店で研修をしてきた、だの、若すぎる店長はどうなの、だの(いや30超えてたし)

要は、私の力量不足である。人徳の無さだわヨヨヨ(ウソ泣き)


そんな事 言ったら 私は店長 亡き後(いや死んでないwww)

発注から棚卸しの入力作業、レジのタッチパネルの設定など

製造以外の作業も覚えてきた。


お店作りも、自腹で飾りを買ってきたりして(100均バンザイ)

愛情かけてやってきた。

たかだか時給プラス50円の店長手当に目がくらんでる訳じゃない。

……たぶん。


結局、最後は私の心が折れた。

しんどい時も、主婦パート同士、励まし合ってやってきた。

と、思っていたのは私だけだったのか。

前の店長にキツイこと言われて しょげ返るその人をかばってきたのも

全くの独りよがりだった訳である。


駄目押しに、帰り道に 車同士の事故を起こしてしまった。

自分は無傷だったが、車はダメになってしまった。

私の子育て前半をガッシリ支えてくれた よきパートナーだった。

もし叶うなら、また同じ車種に乗りたいと思っているくらい…アカン、涙出てきた(笑)


そういう訳で、沢山 勉強させてくれたマネージャー(腕利きの和菓子職人だった)には

非常に申し訳なかったが、引っ越しをするのでと、いつになるか分からない理由を告げて

辞めてきてしまった。


身体は少々キツかったが、仕事自体は大好きだった。

まだあるみたいなんだ、そのお店。

グループ企業の中の 和菓子部門。

あんこがとても美味しくて、どら焼きは今もたまに買う。


その度に思い出す。

お店、あの後どうなったんだろうな。

もう、顔を出す勇気は無いけど。

ちょっぴり ほろ苦い、和菓子の思い出でした。

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