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何者かになりたい自分と向き合う

こんばんは。メイさんです。(もう、おはようございますの時間か…)

先日、テストが一段落しました。とはいえ、また来週も重たい科目の試験があるので気は抜けないのですが、少しだけゆっくりできそうです。本当に少しですが。笑

今回もまた深夜テンションのダラダラトークです。

私がなんで日々、学校のことにしてもその他のことにしても割と全力で取り組んでいるのか……。それについて考えたときに、「自分で納得できる『何者か』になりたいから」が現時点での答えなのではないかなぁということに行き着きました。

本来なら10代やら20代に経験すべき「自分探し」の延長なのかもしれませんが、「なりたい自分」の軸はブレてないつもりですし、それに枝葉がつこうとも基本は変わらないので、自分探しともまた少し違う気がしています。

現役で入学してきている同期たちよりも一回り以上歳が離れているわけですし、何かしらプラスアルファのある人間じゃなければならない、という焦りやら使命感やら、そんな気持ちが無いかといえば嘘になります。まぁ、そういうものは積極的に得ていくものというよりも、結果的についてくるものだと思うのであまり焦っても意味がないというのも分かっているのですが、やはりそういう気持ちは拭いきれないんですよね…。

周りの人たちよりも少し長く生きてしまっている分、おそらく自分で自分に求めるハードルもそれなりに上がってしまっているはず。だからこそきっと、自分で認められる自分になることで、客観的に見たらプラスアルファのある人間になれるのかもなぁと思っています。

結局のところ、自分が考えている『何者か』というのが、具体的にどんな姿なのかは今の時点ではよくわかりません。もちろん、医者としてやりたいこととか、その他にやりたいこととかそういう目標とか考えは具体的に持っているので、それを全て実現する他に、自分で自分に求めている『何者か』が掴めていない感じです。でもきっと、自分が「これこそ、私がなりたかった自分だ!」と思えることを目指すのは、自分の行動を決める上では割と有用な指針になるんじゃないかなと思っています。具体的に掴めない部分があったとしても、自分の理想があってそれを追い求めることは、なんやかんやで前を向けるし、悪いことはないんじゃないかなぁ…と。ぼんやりとそんなことを考えてみたりしていました。

ではまた。メイさんでした。

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