普通にも特別にもなれない私は空をみた

前回記事でも触れた、ピアサポート活動をされてるわかさん。モヤモヤの言語化がうまくて、だけど私と同じように発達障害とか色々事情があって、生き辛さに共感すること多数。(私は確定診断受けてないけど)

でもそれを活かして、公表して、ピアサポート活動をされている。私もそれに共感する。別に、弱みを強みに変える、だなんて、ご大層なコトをしたいわけじゃない。でも自分の辛さの経験が、少しでも誰かの肩の力を抜く手助けになれたら、うれしいもん、ですよね。

さて、今回のこの記事に私は、ドキリ、とした。私も同じような言葉を頭に浮かべたことがあるのだ。わかさんの言わんとすることとは少し違うかもしれない、でもどこか似ている、私の苦い記憶。

とある理由で手術を受けることになり、計1年間、養護学校(現・特別支援学校)に通ったことがある。院内には勉強できるところがなかったし、長期に渡る入院だったから。そして、事前には思ってもみなかったけれど、私には、それが人生の転機と言えるくらいの経験になったのだった。

今から書くことは、もしかしたら語弊があるかもしれない。なんというか、私はそこで普通校では味わえない『ある意味での優秀さ』を手に入れたのだ。何をするにしても、手術前なら「1人で歩ける」というだけで学校で活躍できる。術後なら「車椅子だけど、できる部類だから」と活躍できる。任せてもらえる。

歩くのも遅くて勉強も大してできない、友達はいない、教室でいつも本を読んでいるだけの大人しい子。それが、環境が変わっただけで・・・「これ、あなたならできるよね、よろしく」なのだ。

私はできる、やろうと思えばなんだって。そう思えた。今に続く私の原点。

でもそれだけに、術後に回復して戻る時は辛かった。当時、地元中は荒れていたし、何よりもまた「できない子」に逆戻りだ。

そして、戻る前に、どなたか先生に言われた言葉が今でも心に残っている。「あなたは養護学校のレベルに合わないから、今後を考えれば、普通校のほうがあなたのため」というような言葉。特支は、障害程度に応じてクラス分けがされているので、知的障害なく学習している生徒もいる。それでも普通校でやっていくのとは違うのだ、いろんな面で。

分かっていた。それなりに、今までやってきたし、以前と同じに戻るだけ。でも、私は普通の中では異質だ、どうやっても。昨今は、「インクルーシブ(障害のあるなしで分けない)」が良しとされる風潮もあるし、障害者だから養護学校、となる時代ではないのだから当然のこと。

でも、身体的に運動能力がほんの少し普通より劣っている人として、健常者と同じ土俵でやっていかねばならない。それが苦しかった。

その時に「どうしてもっと重い障害に生まれなかったんだろう」と思ってしまったのだ。もっと特別な支援が必要ならば、もっと援助を受けられたかもしれないのに。普通でもなく特別すぎでもない、は損だ。とはいえ、こんな考えは罰当たりだから誰にも言えなかった。

今回のわかさんの記事を読んで、その罰当たり思考を見抜かれたようで、ドキリとした。

一方、そんなことを考えると同時に、自分より重い障害の人と知り合った経験から、他の人たちの大変さも目の当たりにしているし、生まれ持ったバリアが少ないというのは、損どころか、喜ぶべきなんだ本当は。支援を受けなければ生きていけない立場に「なりたい」わけじゃない。

例えば、友人が言っていた。慢性的に人材不足だから、ヘルパーを探すのはとても難しい。ヘルパーも人だから、相性もある。そして、それが為に、実は長い間、病んでいたのだと。時々、家族が手伝ってくれるけれど、本当は対価のある関係性のほうが気が楽だと。(家族の場合の対価は、しいていえば「愛ゆえに」だろうか?)

もし自分が車イスユーザーだったら。

自分だけの意思で電車に乗れない。事前に連絡しないで乗ることはできないし、先方が対応できないのに利用しようものなら、世間からのバッシングが起きる。(例えば、飛行機に自力で乗ろうとした男性の話、話題になりましたよね)

街を移動するだけで視線を集めるし、知らない人に話しかけられる。「大変だね」と。勝手にできないと決めつけられて手を貸されてしまったりもする。(声を掛けるなら「もし必要ならお手伝いしましょうか」など、本人の意思を確認することが大切です)

「障害者 "なのに" 」「助けがなくちゃ生きていけないんだから仕方がないだろう」「我慢しろ」「わきまえろ」・・・そんな声がどこからか、聞こえてきそうだ。

(そして、障害者に限らず女性やLGBTQの中にも似たような経験をした人は、いるはず。)

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