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小学生の頃に書いた作文の話。

小学生ならではの宿題として、作文が挙げられると思う。

私の小学生時代の作文は基本的に週末の課題だった。
計算ドリル3日分と漢字練習を3ページ分と、それから作文をひとつ。1ページ以上は書くように指示が出ていたはず。

そんなわけで小学生時代には沢山の作文を書いてきたことになる。

それだけ書いていれば、いつ頃どんな作文を書いたかなんてものは基本的に忘れてしまっているのだが、唯一記憶に残っている作文があるので紹介しようと思う。

以下は作文の初めの2文だ。当時、小学2年生だった。

 わたしは今日とてもひまでした。ひまでひまであくびが出ました。

他の内容は何となくでしか覚えてないが、この出だしだけは何故か忘れられない。私らしくてとても大好きな文章だ。

宿題のチェックをした担任の先生からは、赤ペンで「そうとうひまだったのですね」という内容の一言を頂いた。小学生の拙い文章ながら、この日どれだけ暇だったのかが伝わってくれて、にんまりしてしまう。

私は小さい頃、出かけるのが好きだった。どこか遠くに出かける特別なお出かけも大好きだったけど、週末ちょっとスーパーに行くだけでもよかった。車に乗ってどこかに行ければそれで良かった。

けれど、親からすれば、連れていきたくても毎日毎日用事なく、車で出かけるわけにも行かないということもあったはず。
そしてこの作文はきっと、出かける予定も気配も全くない日に書かれたのだと思う。

「ひまでひまであくびが出る」ほどの暇なのだから、他の宿題は終わっていたのだろうし、大好きな読書もしていないのだから、家にある子供向けの本はそれなりに読み終えてしまっていたのだろうし、タイミングが悪かったのか面白いテレビ番組もやっていなかったのだろうと思う。

早く作文を仕上げて、宿題を終わらせたいのに、作文に書くほどのネタがなく、絞り出しての「ひまだった」作文だ。詳しいことは思い出せないが、とにかく暇だったのは覚えている。

今考えれば、SNSや動画サイトに囚われて1日が終わることもなく、何もやることがないということだから贅沢な話だ。
しかし、それを「贅沢だ」なんて感じず、作文にまで書き起こした当時のわたし、大好きだ。こういうところの自己肯定感は高め。

子供の頃の気持ちを大人で持ち続けることは難しい。自分も周りの人も環境も昔とは全く違う。けれど、こういう記憶を通して、大切な時間(当時は「ひま」だとしか思わなかったが)を思い出せるということは、大事な事だと強く思う。

まあ、そんな、小学生の頃に書いた作文の話である。

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