好きな人

恋愛的に好きな人の話ではなくてね。多少オーバーラップする部分はあるけど。一緒に過ごす時間が好きな人、シンプルに言えば友達のこと。
過去の友人関係を振り返ると、性格の統一感はあまり感じない。いわゆる陽キャっぽい人、生徒会長っぽい人、生真面目な人、ダウナー系の人、お調子者キャラ、芸術家肌の人……自身の人との関わりかたも大いに関係あるだろうが、ジャンル(というと失礼かな)は限定されなかった。

MBTIだけで人は語れないけれど敢えて勝手に分類するのならば、ENFPやENTP・INTP気質の人に興味を持ってもらえることが多かったように思う。

思い返せば私がもっと一緒にいたいと思いがちな人たちには一つだけ共通点がある。
それは《答えのでない話を楽しめる》ことだ。

実利的・実用的な話、もしくはゴシップなど私生活に沿った話が好きな人は、私の体感では非常に多い。そういう話が嫌いなわけではない。知識を与えてくれる人は有難いし、愚痴を言いたくなるときもある。
でもいちばん楽しい、充実した時間だったと思えるのは、答えのない話をだらだらしていた時。

たとえば、25年の付き合いになる幼馴染の一人は完全にこれを共有できる。高校生のときに『死(後の世界)について』語り合い、気づいたら6時間同じカフェに居座っていたこともある(店員さん本当に申し訳ございませんでした😔)。
考えても仕方のない話をしてどうするんだ、時間の無駄だと言われることもある。別に答えが欲しいわけでもない。もちろん「〜の研究ではこう考えられているんだって」「臨死体験を鑑みると……」などという要素があればなお素晴らしいが、単に「もし〜だったら面白いよね」「〜だったらどうする?」と言い合うだけで十分なのだ。むしろそれが楽しくて仕方ないのだ🐹

noteにつらつら自分のことを書いておきながらこんなことを言うのは説得力に欠けるだろうけど、基本的に私は会話に対する興味が薄いほうだと思う。聞いた話、得た知識を自分のなかで咀嚼する時間や空想の世界に浸るほうが楽しいから。

意味のない話、答えの出ない問いを共有する面白さは、この空想・妄想を二つ以上の脳みそと感受性、人生経験を使って拡大していけるところにある。自分ひとりの人生で得ることなんか雀の涙にも満たないからね。

上記の幼馴染、もう一人の幼馴染である議論好きのスイス人、神学部の元カレなど、ある程度なかよくなった人はみんなこの作業を楽しめるタイプだった。

大人になってから出会うのはやはり仕事関係の人がほとんどなので、どうしてもお互い実利的な話をしがちで私がしたい会話に付き合ってくれる人を見つけるのは難しい。
結婚願望がないので彼氏も別に欲しくないし、一緒に買い物に行ったりする友達は求めていない。ただ、こういう芯のない話のできる人とは常々出会いたいなと思っている。

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