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猫飼いの光と影 かわいいだけじゃにゃい

猫を飼う前は猫が大好きで、週に2回は猫カフェに通い、雑貨屋さんで目を奪われるのはいつも猫グッズ。小さい頃から猫を買うのが夢で昇給が決まったときに真っ先に考えたのは猫をお迎えすること。

こうして始まった猫ライフ。しかし、想像を超える猫の暴走に戸惑いを覚えた。

①粗相
保護猫団体から猫砂をもらい、トイレの砂に混ぜてトイレの場所を教えたつもりが、初日は不安からかけ布団の上におしっことうんち。
不在時に度々放尿された座椅子は臭気を放つため処分。
おしっこかけられすぎて洗濯不可の冬用掛布団も処分。

不在時に掛け布団を別の部屋に格納しシーツを防水シーツに変えることで被害を最小限に。寝てる最中に掛け布団に放尿されることがあるから、それは防ぎようがない。

②要求鳴き
こちらがリラックスしていようがトイレにいようが疲れていようが病んでいようが寝ていようが猫にはお構いなし。
😺おやつくれーあそんでくれーかまってくれーうんちの予告😺
壊れたテープレコーダーのように泣き続けます。
猫が7時間ぶっ通しで寝ることはないので必ずどこかで起こされます。
テレワークは1kの家ではできないため更新時は引っ越し考え中。

猫への幻想

飼ってみたらやっぱり大変なことのほうが多い。動画アプリで流れてくるような「猫って可愛い、癒やされる〜」と思う時間は少ない。人間のように言葉を覚えたり、成長してくれるわけではない。一生守ってあげなければいけない存在。これだけお世話をさせて先に老いて死んでしまう。 

猫は架け橋

でも人に猫を飼っているというとそれだけで歓心を向けられることがあり、そして周りの人は猫が私の家族であるかのように、私が思った以上に、みんな私の猫を気にかけてくれる。「私の」猫は私と人とを繋いでくれる大事な架け橋になっている。プライベートな話題に踏み込みにくい間柄であっても猫は話題にしやすい。疎遠な人であっても私が猫をかってるという話は共通の知人を介して知っていることが多い。猫を飼うまでは猫が私と他の人との架け橋になるとは全く想像してなかった。

猫は愛

猫は私の子供のような存在。猫が毎日ご飯を食べて、水をちろちろ音を立てながら飲んで、健康なうんちをしてくれることが嬉しいし、5階のベランダに出てしまって手すりに上ってしまったときはこの世の終わりのような気がした。(反射的にすぐに抱きかかえたけれど)出かけるときは何処にいるか確認してから出る。動物と言ってしまえば動物だけれども、たまにトイレでもおやつでも遊んで欲しいでもなさそうなのに、ニャーニャー鳴き続けて何が不満なのかな?と思って優しく声をかけて撫でてあげると満足そうにするときがある。猫にも愛が必要なんだなと思う。

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