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行動が変わる、かかわり方について

アメリカに住んでいた頃、子供達が世話になった先生方との3年ぶりの対面を通じて、モベーションを上げるとは?維持するとは?の問いへの解像度が上がった気がしている。

◆子供達の英語への向き合い方を変えたもの
先生方と会ったあとで、子供達の英語コミュニケーションへの向き合い方が変わったようだ。
レストランでオーダーを自分で伝えることを嫌がらなくなったし、周りの英語をもっと聴くようになっている。
コミュニケーションに対して、丁寧になった印象を受けた。
一足先に訪問した親戚宅でも英語で交流する場はあったのに、その時は行動が変化したようには見えなかった。なぜ今回だけ子供達に変化が生じたのか?

子供達の中で何が起きたのか、人間の行動が変わるメカニズムについて想像してみた。

◆自分を信じて見守る人がいることに、”気づく”
子供達はきっと最初、先生とよそよそしく挨拶をして、当たり障りない世間話を交換して終わると思っていたことだろう。(かく言う私もそう思っていた)
ところが先生方はそうじゃなかった。子供達が今幸せかどうか、当時どれだけ子供達本人が頑張っていたか、それを先生がどれだけ誇らしく思っているか。これからの成長を信じているか。
“自分より自分を信じてくれる人がいる”ことを、きっと子供達は目の当たりにしたはずだ。それが直接、顔を見て伝えられて、嘘偽りのない真心であることは明白だった。

◆子供達の心のなかで、新しい自己認知が生まれた
自分以上に自分を信じてくれる人が「魅力的で可能性に満ちた自分」を伝えてくれる。そうすると本人の心には、「あれ、俺ってけっこうイケてるかも」という新しい自己認知が生まれる。コーチングにおいて、コーチを通じて自分のありのままを客観的に見るプロセスと重なることに気づいた。

◆子供達の心のなかで、2つの自己認知の不整合が生まれた
先生と会うまで、子供達には1つの安定した自己認知があったように思う。
これを仮に、「乗客の自分」とでも言おう。
・レストランで親にオーダを通してもらう
・質問が来たら、イエスかノーかで適当に片付ける
・対話は、周りが盛り上げてくれる
この自分像と、行動は”一致していた”んだろう。そこには違和感もなく、自然なことだったんだろう。
ところが、先生達と話すうち、新しい自己認知が見えた(気づいた)可能性がある。これを仮に「運転手の自分」とでも言おう。
・自分の意思と想像力で、目の前の困難に向き合う
・自らすすんで相手に関わりを持ち、相手を幸せにする
・自分の好奇心に従い、自分が思ったように行動する。

◆新しい自己認知に行動を整合させようとする、心のはたらき
先生達との対話で生まれた新しい自己認知「勇気をもって異文化に向き合う自分」と、これまでの「オーダーを親に頼んで黙っている自分」「英語を聴き流す自分」との間のギャップに心が反応して、”違和感”を覚えたんじゃないか?

◆新しい自己認知と合った行動を取る
そして子供達は、というか子供達自身も自覚していない無意識は、新しい自己認知に合わせた行動を選択しようとしていたんじゃないか。
だからいつものように「自分でオーダして」と親に言われた時、子供達の心の中で、「運転手の自分」≒「自分でオーダする自分」という整合点に向かって行動が動機づけされたんじゃないか。

これらの心の動きをふまえると、モチベーションの維持や向上をしやすくするコミュニケーションの仕組みが作れるような気がしている。
最初は子供達を実験台にして、この仕組み化を試行錯誤してみよう。

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