愛着パターンを考える。

 私は、今日学校に行った。
 学校に、面白いことがあるのかと言えば、そんなことはない。だただ言って疲れるだけであろう。
「そんな学校に行って何が楽しい?」
 と問われれば、真っ先に僕は、
「それは必要だ。紛れもない道具のようなものだ。と言うだろう。」
言わば、俗に言う無頓着である。
「僕に彼女ができたらどうしたいって?」
聞かれたら、掃除に家事に食事に….
「子供ができたらどうしたいって?そりゃあ、都合よく育て、頭のいい子に育てるさ。」
 と大笑いできるあろう。
そうやって、僕は人を好き、と言う感情で見ないのだ。
「学校に美人がいるぞ!」
そういわれたら僕は、
「俺の方が美人だ。」
と答えてあげよう。
 僕はいわば、サイコパスのようなものではないのだよ。
人を殺したいとも思わない。人が嫌いでもない。
ただ、ただ、人がわからないのである。
死にたくもないし、死んでもなんとも思ないんだ。
 そんなことを語るのはなぜかと言えば、
僕が買った、「愛着障害」という本を読んだからかな。
まあ、そういうことだ。
愛着パターンという部分に回避性のパターンがあてはまって、
見事と思わされたからだ。
Wikipediaにその類の話は少量乗っているから、塩を舐めてみる程度で見てみてほしい。
太陽系のシステムでどこに居たい?と言われたら、恐らく僕は、星にもなりたくない。いわばイトカワみたいな小惑星になりたいのだ。
逆に、不安型の傾向が強いのならば、君は太陽。
安定なら、どの星でもいいのかもしれない。
これを見て、僕の人生の愛着の問題を、この本は教えてくれたみたいなことだ。

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