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流し読みをすること。 #わたしの読むスタンス

さぁ月曜日。今週もはりきっていってみよう!...と思ったら雨だしさむいし、よけいに仕事行きたくなくなっちゃうなぁ。こんな日は本を読んだりみんなのnoteを読んだりして、おうちでゆっくり過ごすのが正解なんだろうな。もともとおうちにいなきゃいけないんだけどね。

さて。「読む」といえば、今日はこのことについて書こうと思う。

#わたしの読むスタンス 。みんなのnoteを読むということにたいしての、ぼくのこころ構えというか、姿勢について。今日はあらためて考えてみたよ。



誤解のないように書きたいのだけれど、ぼくはみんなのnoteを読むときかなりの頻度で一度「流し読み」をする。たとえば出勤前、おうちで準備をしながら。たとえばちょっとした空き時間に。タイムラインを眺めながら、ヘッダー画像とタイトルを見て、サラッと本文を流して読む。これは決して、「抜いている」わけではなくて。ちゃんと、理由があるんだ。

だいぶ前のnote。「前にこんなこと書いたなぁ...」と思って見直してみたら、ここにその理由が書いてあった。

書いている人は、だいたいみんな気軽に読みにきてもらいたいと思っていると思う。
ぼくも、超がつくほどそう思っている。
けれど、その温度を間違えてしまうと、ときに火傷をしてしまうことだってあるんだ。

内容も含め、「中身の温度を確かめる」ため。そのために、一度流して読む。書かれた熱を、知りたい。そして、できるだけ同じ熱をもって、その熱を受けとめられるこころの余裕で、読みたい。流し読みは、そのためなんだ。
だから、ちゃんと読むのは流し読みをしてから。それが直後のこともあればしばらく後のこともあるし、何日か後のこともある。たまに流したまま忘れることもある(失礼!)。ずっと後になって巡りあうこともあるし、残念ながらそのままにしてしまったものもあると思う。すべてを拾うのは、諦めている部分もある。
でもそうしてリアクションせず放置したものを、今度はちゃんと、向き合って読む。当たり前かもしれないけれど、他のことはしない。「noteを読む時間」として、ちゃんと確保する。気持ちの温度をあわせて、最大限受けとれるように準備をする。

noteを読むということは、本を読むこととはちがう。本は、基本的には自分で読む前に「選んで」いる。読みたい内容と自分の気持ちや必要性のバランスをとってから、選んでいる。noteはほんとうに、不意に火傷をすることがある。殴られることがある。もちろんね。予期せぬ感動や爆笑の渦に巻き込まれることも、同じくらいあるよ(だから、noteは楽しいんだよ。重たいことばかりじゃないし、気軽でもいいんだよ)。

流し読みをすること。
それは、気持ちの温度をあわせて、最大限受けとれるようにするために必要なこと。書いてくれた誠意に、応えるための誠意。そんな意味合いもあるのかな。伝わるかどうかはさておきの話だけど。
大げさだなぁと思う人、たくさんいると思う。
でも、備えあればな何とやらっていうのと同じ。
自分が書いていくためにも、読んでもらうためにも。自分で正しいと思うスタンスについては、言葉にしてみて損はないと思うなぁ。
みんなは、どうですか...?



以上、わたしの読むスタンス、企画参加noteでした!
あきらとさん、ありがとうございました。
読んでくれた方、お付き合いありがとうございました。
お天気すぐれないけれど、穏やかな午後になりますように。
それでは、今日はこの辺で失礼します。







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