見出し画像

自分は(目指せ)孤高、他者は尊重。

この時間にみなさんのnoteやつぶやきに目を通すのが好きだ。今日はどんなことがあったのだろう、どんなものを食べて、何を飲んで、どんな気持ちで一日を終えたのだろう(海外のみなさんはおはようこんにちはだけど...)。そんなふうに一日の締めくくりをもっとも遅く迎える部類の生活を、もう何年つづけているだろうか。15年くらいかな。

「内輪」、っていう言葉を今日たくさん目にした。いろんな意見があっていろんなスタンスの人がいる、それはもちろん尊重されるべきものであって建設的なもしくは客観的な意見および視点があって、それが普通でそれがいいのだと思う。今日目にした言葉たちはそれぞれ冷静に個々の意見を表明していて、見ていて気持ちが平穏だった。他者を尊重する、こんな基本的なことが難しい。そう思うことが最近多かったから余計にそう思う。
ぼくはといえば、みなさんから見てどう映っているのか興味があるけれど、疎外感というか、どこの「内輪」にも入れていなくて少々さびしくて肩身の狭い思いをしている。変わらずみなさんのnoteはたくさん読んではいるけれど最近シェアすることは多くなくて、コメントを入れることもすくなくなった。これはちょっと仕事とプライベートの比重が大きくなって余裕がなくなったせいでもあり、個人的には充実しているけれど、twitterで仲良くしている人たちを見ながら羨んだり、「仲間に入れて!」って言いたいのを遠慮してしまったり、ということも多々ある。需要のないポエムをつくり(楽しいけど)、PVも伸びなくてちょっと凹んだり、だれのために創作してるの?って頻繁に自分に言い聞かせている。
だから思うんだけど、何でも結局は自分の気の持ちようなんだよね。「内輪」って何だろう、どう解釈しよう。それってダサいの?わからないというか、その次元で考える必要が(すくなくともぼくには)ない。大切なのは、自分が花咲くところで精いっぱいキレイに咲くこと。ほかの花の美しさにあこがれてもいいけど、自分の美しさも肯定してあげる、信じてあげる。上で「疎外感を感じている」と書いたけど、だからといって構ってちゃんになるつもりも迎合するつもりもだれかのご機嫌取りをするつもりもない(これはぼく個人の勇気や社交性やこころの余裕の問題だから)。自分は(目指せ)孤高、他者は尊重。だれかが自分のラインまで降りてくるのを待つのではなくて、自分を引き上げる、他者のステージに持っていくこと。妬みではなくて百歩譲って羨望、本来は認める気持ち、敬う気持ち。それを忘れなければ自分を見失うこともないんだから。だし、ほんとうに付き合いたい、大事にしたい/されたい人にめぐり会うチャンスも拡がると思うんだ。どうかなぁ、伝わってるだろうか。

後出しじゃんけんのような立場で偉そうなことを書いてしまったけど、なかなか本気でそう思っている。でもほんとうはただ、この時間は今日のみなさんのあれこれを笑いつつ和みつついいなぁと思いつつ励ます気持ちになりつつ、穏やかに過ごしたい。ていうかほとんどそうさせてもらっている。あとは、しっかりポエムをつくりたい(この時間帯はとっても「潜れる」時間帯だから)。
流されない芯のつよさ、ぼくもまだまだなので、一緒に学んでいきたいな。

というわけで、ちょっとした所感を書かせていただきました。
こんなことを思っているAM4時半、いつもぶっつけ本番の深夜note、お付き合いありがとうございます。
それでは、おやすみなさい。明日もぬくぬくして、乗り切りましょう。






いただいたサポートは、ほかの方へのサポートやここで表現できることのためにつかわせていただきます。感謝と敬意の善き循環が、ぼくの目標です。