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人をカテゴライズすること。

人を安易にカテゴライズすることの危うさについてしばらくの間なんとなく考えていたら、タイムリーに(と言ったら失礼なのだが)あきらとさんがこんなことを書いていたのでぼくも書いてみようと思った。​

あきらとさんのnoteは要約すると、こんな内容になると思う。

コミュニケーションをとるときは、できれば余計な枕詞を外してほしい。「有名な」あきらとさん、「フォロワーの多い」あきらとさん。「あきらとさんは人気者なんだからこんなことしちゃいけない」とか。そうじゃなくて、もっとひとりの人間として、フラットに接してもらえないだろうか。

カテゴライズされる側は、きっとたまったもんじゃない。する側の人も悪気はないんだとは思うけれど。SNSならとくにその人のほんのわずかな側面しか見えていないわけだし、安易に「この人はこういう人!」って決めつけてしまうのは、やっぱり慎重になったほうがいいと思うのです。有名税も免罪符も、そんなのぜったいないからね。

でも。
これには全面同意なんだけど、この話にはもうすこし別の側面がある気がする。
カテゴライズされる側の迷惑。それに加えて、何ならもっと危ういと思うこと。それは、「人を安易にカテゴライズすること」が、自らの視野を狭める原因になりはしないか?ということ。

あの人は○○だから、こんなことができるんだよね。
自分は○○じゃないから、これができなくても仕方がない。

こんな具合にね。



カテゴライズすることは、人とのコミュニケーションを図る上でほんらい大切なものだとぼくは思う。ただそれは、その人を色眼鏡で見るとか属性を規定するとか、そんなことじゃない。それは主に、リラックスしたプライベート以外の場面での話。相手が上司だとかお客さんだとか、相手の立場や自分との関係を適切に見極めて、そこで正しい言葉づかいや振る舞いができるためにこそ必要なこと。
だから上で書いたように、「あの人は○○だから、こんなことができるんだよね」なんていうカテゴライズの仕方はすこし見当が外れている気がする(「○○」に入る言葉って何だろう。経済状況、年齢的なこと。能力、容姿、性別?きっともっとたくさんある)。
「ワシはもう80歳だから、今から100mを10秒切るのは厳しいだろう」とか、現実的に難しいことはあるよ。でもそうではなくて。
「ぼくは英語が話せないから、海外に行っても楽しめないだろう」と、英語が話せるあの人と、話せない自分を別のカテゴリに置いて。「あの人はフォロワーさんが多いから、いつもnoteを楽しめるんだろうね」と、フォロワーさんの多いあの人と、そうでもない自分を別のカテゴリに置いて。
自分ができなくてもいい理由、やりたくてもできない理由を、安易に人をカテゴライズすることによってつくってしまう。どうしたらできるか、どうしたら楽しめるか。人が苦労して積み上げたものを見ようとしないで、人を揶揄したりやっかみなんかを駆使して、そっちの方向へ思考がいかないように自分を守ってしまうんだ。

人を安易にカテゴライズすることで、その人の他の側面、魅力、そういったものを知る機会をロスする可能性が増える。でもまだそれは、自分が閉じていても向こうが開示してくれる可能性がある。
いっぽう、「あの人とちがって○○なせいでこれができない」「あの人よりも○○じゃないから仕方ない」という自分自身へあきらめを促すような他者のカテゴライズにたいしては、きっとだれも救える手段を持っていない。人を安易にカテゴライズすることに慣れてしまえば、「そんなことないよ、できない理由を探すより、できるようになる方法を考えようよ」と言ってくれる貴重で大切な存在にだって「あなたはポジティブだからいいよね、でもぼくはそうじゃないんだ」なんて切り返すことになるよ。そうやって、人はどんどん離れていく。それこそ気づいたときにはほんとうに、自分を好ましい人間だとカテゴライズしてくれる人はいなくなってしまうんだろうな。

人をカテゴライズすること。
それが必要なときがあって、それが適切なときがあって、不適切なときがある。何でもそうだけど、要はバランスだ。ぼくもよくやってしまう。そのたびに凹んだり、自分のこころと視野の狭さにあきれ返る。
早すぎるジャッジ(=人を安易にカテゴライズすること)は何の得にもならない。だから、広いこころをもって、相手を尊重する気持ちをもって、接することを忘れないようにしよう。偉そうに書いてしまって申し訳ないけれど。ぼくも気をつけるから、みんなで意識してみよう。
そうしたらきっと、好きな人が増えるよ。



おわりに
朝向けのnoteじゃないかもしれませんが、ちょっと気になっていたことを書かせていただきました。
あきらとさんのnoteの前にも、どなたかがカテゴライズについて書いていたnoteかツイートを読んだ気がするのですが、探してみても見当たりませんでした。気のせいかなぁ。読んだと思うんだけどなぁ。
人をカテゴライズすること。
ふとしたときに「あ、今やっちゃったな」なんて、気にする習慣ができるといいなと思いました。
今日もお付き合いいただきありがとうございました。

さて。
明日の夜はついにこの企画がはじまります!

ぼくは本祭りには参加できないので、後夜祭にお邪魔する予定。
みんなの愛しの酔いnote、たくさん寄せて盛り上げましょう!
詳細は上記noteをチェック!(今日あきらとさんのnote2つも引用した。笑)

それではみなさま。
穏やかな週末を。




※3/7追記
このnoteの「おわりに」の部分で、「どなたかがカテゴライズについて書いていたnoteかツイートを読んだ気がする」と書いていますが、下記のSaeさんのnoteでした。ご指摘いただいて、わかりました。

自分でスキしているのに、「読んだ気がする」なんて恥ずかしい限りです。大変失礼致しました。

Saeさん
わかりやすく腹落ちする素敵なnoteでしたのに、申し訳ありませんでした。これを書く前に、もっとしっかり確認するべきでした。このままにしておくわけにもいかず、ここでお詫びをさせていただきたいと思います。
不快な思いをされたかもしれません。大変失礼致しました。




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