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その言葉は、だれのため?

おはようございます。
だいすーけです。
今日は、3日ぶりのnote更新。

昨日の夜、企画「 #幸せをテーマに書いてみよう 」に投稿するnoteをようやく書き終わった。
しあわせって、何だろう。
抽象的に過ぎるし個人差があるだろうし、きっとみんな欲しくて、人生をかけて追い求めるもの。
慎ましいのがいいのか、貪欲に求めるのがいいのか。
一度きりの人生、追い求めるべきは自分のしあわせ?
それとも。


...おっと。
企画用noteの内容を書きはじめてしまうところだった。
今朝は、別の話。

こんなゆるい書き出しから突然だけれど、自分が恥ずかしいなって思ったことを、忘れないように、戒めのために書いておこうと思います。
日曜日の朝にする話じゃないかもしれないけれど、ちょっと反省していることがある。
言葉の力を疑ってしまったかもしれないことについて。
短いので、よかったらお付き合いください。





大切な友だちが、思い悩んでいる。
遠くにいるのに、頬を伝う涙がぼくの目に映るようだ。
ぼくは、何とかしてその悲しみを和らげたいと思った。
おこがましくも、何とかして楽にしてあげたいと思った。
でも、出てきた言葉は月並でつまらなくて空虚で、ぼくの思いが乗った気がしなかったんだ。
何とかしたいと思った気持ちに嘘はない。
だからこそ余計に、ぼくは不安になった。
と、同時に、自分がすごく、卑しい人間に思えてしまった。


大切な友だちのこころに寄り添おうという尊く美しい名目をもって、ぼくは今軽々しく自尊心を満たそうとしてはいなかっただろうか。
人のためを思って紡ごうとしたはずの言葉でもって、自分の快楽を追求しようとしてはいなかっただろうか。

また何よりも、自分の言葉の浅さを棚に上げて、ぼくらが一番信じるべき言葉の力に疑いをかけはしなかっただろうか。

そんなふうに思って、昨夜はすこししんみりしていた。
曲がりなりにもこの街で、言葉によって何かを生み出そうとするもののひとりとして。
すこし自覚が足りなかったんじゃないの?と、自問自答していたのだけれど。

朝から気持ちの上がらない話で申し訳ないと思う。
けれど、ここの境界、かぎりなく曖昧な場合も多いと思うんだ。

その言葉は、だれのため?

そんなことを常に意識しながら、また優しい言葉を紡いでいけるようにしなきゃいけないな。
自分のために。
ぼくの言葉を待ってくれているかもしれない人のためにも。


今日も、読んでくれてありがとう。
日曜日、素敵な一日になりますように。
たくさんたくさん、笑えますように。






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