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『還りみちを臨む、』 #教養のエチュード賞


わたしをはじめて包んでくれた温度のことを記憶にあるかと尋ねられればそれはすこし難しくて、その実のところはあなたに訊くのが正しいのだろうと思う。あるいはあなたもどうだろうか、夏が終わり秋の深まる気配が日々色濃くなるその頃から、あなたはわたしをどれだけ抱きしめてくれただろうか、どれだけ、包んでくれただろうか。はじめての記憶、それはひどく曖昧で、だからいつか答え合わせというか、ずっとずっと過ぎ去った昔のことを、あの頃のできごとを、探す旅をしましょう。こころが擦り切れるだとか切なさや虚しさに満たされて冷え切ってしまうだとか、そのことを言葉にするのは気後れする、そして正直に告白すると、苦しいなあと思うほどにぎゅうと、抱きしめられた記憶はない。それは寂しいことではなくて、仕方がなかったから。わたしは理解していた、幼い嘘でも強がりでもなく、ただわかっていた。いろんな愛の示し方があることも現実も、選んだことも翻弄されたことも。勝手に傾く天秤はわたしたちには優しくなかった。でも今となっては、思う。好きなおかずをさいごまでのこしておくようにわたしは、あなたの温もりを、あの頃はそう、とって、おいたんだ。


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あなたには、誉められたことがなかった。そう思っていたけれど、振りかえればそれは正しくなかった。わたしの周りには優しい人がたくさんいた、たくさんいたけれど、ほんとうに優しい人ばかりだったなら、わたしももっと、だれかに優しくなれたはずだった。あなたのような人が、いつでも近くに。離れてからそう思うようになったのに、いつかあなたの顔を思い出すこともなくなり、怠惰な時間や見栄や欲望に甘い囁きに、手をとられた。遠回りを、することになった。あなたのような人がいつでも近くに、わたしにはきっと、必要だった。あなたはわたしに触れることなく、いつも、包んでくれた。こういうことはなぜ、後になってわかるのだろう。たとえそれがそういうものであったとしても、もうすこし早くわかりたかった。滅多に笑うことのないあなたが実はとても誠実で気配りの人でそして、いつも安全運転だったことを、わたしは知っていたのに。ねえ、また会えますか。そう思うけれどわたしは、あなたに会うのに相応しい顔をしているだろうか。会うのに恥じない、人間になれているだろうか。


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あなたの前に立つと、自然と背筋が伸びた。長い長い時間をまっすぐに生きてきたあなたのほろりとこぼす言葉が重たくて優しくて、わたしはわたしがどれだけ背伸びをしても及ぶことのない人がいることを、住む世界がちがう人がいるということを、思い知らされた。それはとうにわかっていたことだ、けれど、自然と溢れる敬意を伝わっていたかどうかは別としてわたしは隠せなくて、そしてそれを表明することを気恥ずかしく思うこともなく、わたしはそのちいさな背中をただひたすらに仰ぎ見ていた。触れなくても伝わる温度は、いつもそこにあったから。そこにいることがきっと、わたしの未来に大きな何かをのこす。わたしにはそれが、疑いようのないことのように思えた。10年という月日は、あなたの背中をひと回りもふた回りもちいさくした。けれどわたしはそこに夢を見たんだ、遠い遠い、世界の人なのに。わたしはあなたを、今も変わらず慕っている。背筋を伸ばして、あなたを、待つ。


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会いたかったけれど、会えなかった。きっとこれからも、会うことはないだろう。わたしはあなたが好きだった、何もかもを、手放してもいいと思った。鎖はあなたが握っていた。締め付けるのもほどくのも、どちらもあなたの機嫌ひとつだった。わたしはついに、あなたに会えなかった。でもきっと、それでよかったんだ。あなたに会うことはないのだといつかのわたしはようやく確信したけれど、深い悲しみと同時に湧き上がる言いようのない安堵もちゃんと捕まえた。ずっと灰色だった。やがて空虚に呑まれた時間が灰色を薄桃色に染めた、早春の曇り空に恐る恐る顔を出した桜の花のような、頼りない希望の色に。それは、新しいはじまりの色。あなたを、忘れるための色。わたしはそれを、美しいと思った。たくさん泣いたけれど、それでよかった。桜は、だから、早く咲いたんだ。


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あなたのような温度で包んでくれる人を、わたしはこれまで知らなかった。あなたとの間には、はじめから壁がなかったような気がする。正確に言えばその壁はわたしのなかに存在するものであって、ときに必要以上に高く厚く、それを築き上げては他人の不干渉を望んでいた、それと同じくらい、一方では求めていたのにだ。ほんとうは、ただ、弱かった。怖くて、それを知られたくなかった、だけだった。壁はきっと、壊れたわけでも融けたわけでもなく、依然としてそこにある。どこかに扉があったのかもしれない、あったとしてもそれはもう古くなって錆びついてしまって固く閉ざされていたはずなのだけれど、あなたはそれを容易に開けた、それも、物音ひとつ立てずに。愛されていると、そんなことを思うわたしは傲慢だと思った。わたしには難しかった、受け容れ難かった。訥々と、説かれた覚えもなければ諭された覚えもない。今わたしはそれを理解したのだと、言えるのだろうか、言ってしまいたいけれど、覚悟があるだろうか。そんな覚悟はないと否定するわたしは、ほんとうは待っている、耳元で、大丈夫だよと悲しくて愛しい言葉をこぼす、わたし自身のことを、あなたのことを。そうだ、わたしはきっと、愛されている。



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おそらくは折り返しの地点を過ぎたであろうわたしの人生のそこここに、温度を添えてくれた人がいた。土に水をやるのと同じように、慈しみ深く、わたしに注いでくれた。実らなかったもの、触れられなかったものさえ、今となれば温かい。ひとりだったら、倒れていた。ひとりだったら、生きてはいなかった。わたしに注がれたいくつかの温度、それは昨日今日はじまったことではなくて、記憶のはじまりから、そのもっと前からそれらは、それぞれの場所を温めてくれた。その一つひとつに意味づけをする必要などあるものか、正しいのはきっと、依然として同じ場所に、それぞれの温度を置いておくことだ。ただそこに、あったという事実をわたしは、いつかまた振りかえる。振りかえるたび確かめる、依然としてそこに、あることを。土から生まれ、花を咲かせてのち、わたしは何をしようと考える。還りみち、そうだそれを、わたしは紅く、染め上げることをしよう。先の見えない還りみち、終着の訪れのいつかもその終着の正しさも知れない、尽きることのない不安とともに歩む。けれど、それはきっと、満たされている。わたしにはわかる。なぜならわたしは、あなたに愛されているからだ。



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『還りみちを臨む、』



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