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「シャニマス感想コンテスト」によせて

 こんにちは。まきしらりあです。
 ここのようなインターネットジャングルの奥地に辿り着く方ならご存知かと思いますが,2024.4/8〜5/9の間,下記のようなコンテストが開催されていました。

 端的にいうと,「シャニマスというコンテンツ」に関して感想や想いをぶつけよう!というお祭りです。

 当記事は,このお祭りに対する私の想いを,忘れないうちに残しておこうという趣旨のものです。「想いをぶつけるコンテスト」に対する想いってなんやねん。というような気もしますが,まあ良いでしょう。

 早速ですが,私はシャニマスに関わる様々なことが好きです。enza版もシャニソンも,アニメもライブも,キャストの方々に始まり,運営側の方々の想いも。ファン側のゆるい繋がり方もです。筋トレ部や料理部など,シャニマス以外に好きなことが重なった繋がりに,所属したり眺めているのはとても楽しいのです。キャストの方々のファンと繋がるのも良いですね。また,noteに残されているたくさんの記事たちを読むのも好きです。

 さて,今回なんでこんなものを記しておこうと思ったかというと,シャニマスとファンの文章という今回のお祭りが,シャニマスnoteを好きな私によく刺さる企画だったからです。

 もし,これを読んでいる人がいるのであれば,私が言いたいことはただ2つ。

①  みんなもnoteに蓄積された記事を読もう!!


②  みんないつでも想いをぶつけあおう!!


 先に書いた通り,私は文章を読むのが好きです。上手下手を見分けられるほど目が肥えているわけではありませんが,好きな文体や着眼点の文章に巡り会えると幸せな気持ちになります。今回のコンテストのおかげで読み物が増えたので,それだけでも運営さんには足を向けて眠れません。

 ♡が多い記事は何かしらの分野への深い理解がセットである場合が多いです。タイトル的にも目を惹きますからね。しかし,そうでなくても面白い記事はたくさんあります。文章の巧拙や理解の深さではなく,込めた想いが重要なのでしょう。

 みんなもたくさん記事,読もう!!!!!!!!!楽しいよ!!!!!!!!!


 読むのが好きな私もたまには文章を書きたくなるときがあります。でも,書きはじめて思うのです。「これ,誰かがもう書いてそうだな」と。 

 SNSでは,各方面に対して理解の深い方々の感想や考察が回ってきます。文学,音楽をはじめとして,各コミュとのつながりなど。シャニマスのオタクにはすごい人がたくさんです。そんなこともあって,文を書こうとしても,「自分だけの視点がないと」や「ネタ被りはよくないな」などの思考が筆の邪魔をするでしょう。

 でも,私はそこで気後れしてほしくないのです。

 先にも述べた通り,何かを出力する際には,熱い想いが重要だと考えています。そもそも,想いをぶつけるときに深い理解は必要なのでしょうか。

 同じものにふれても感じ方は人それぞれ違います。そりゃそうです。それまでの人生で触れてきたものが今の自分を作っているので。見え方も感じ方も,出力する時に用いる言葉も異なるはずです。

 例えば直近イベント『絆光記』の報酬SSSR【王と蚤】。

めっちゃ良かったからみんな読もう!!!!!!!!!

 シャニマスは文学作品をモチーフとする場面が散見されるのですが,私は文学方面に疎いため,元ネタがわかりません。かろうじて英単語のautonomyにかかっているのだろうなと推測する程度です。それでも『絆光記』,めちゃくちゃ良い......となりました。元ネタがわかるのであれば,見え方はまた違うのかもしれません。でも,別に初めからわかっている必要なんてないじゃないですか。

 だって,SNSでは理解が深い人の元ネタ解説が回ってくるのでしょう?それを踏まえてもう1度コミュを読むことができるのです。逆にお得ですよね。

 と,いうわけで

みんなもたくさん記事,書こう!!!!!!!!!私が喜ぶ!!!!!!!!!!


 ここから先は私のシャニマスnote文化に対する想いです。

 noteに残されている記事たちは,言い方を悪くしてしまえばほとんどが素人が書いた文章。巧拙も視点も様々ですが,そんなところが愛おしいのです。

 文章は誰かに読まれなければ意味がないのか?私はそうは思いません。

 だって,自分のために書かれる文章があっても良いじゃないですか。私は日記をつけているのですが,あれなんて純度100%の自分のための文章です。いつかシャニマスがサービス終了したり,推しが引退したり。その後に「あんなこともあったなぁ」と振り返って笑えるように私は日記をつけるのです。
 今の時間はずっとは続かない。永遠なんてないのかもしれない。でも,ほんの少しでも。私と一緒に少しでも長い時間をこの記憶が歩いていけるように記録を付ける。これが私なりの想いのぶつけ方で、愛情表現なのでしょう。
 
 この記事だって99%くらい自分のためです。日記と違った文体であるところが自分以外のための1%。

 コミュとかの感想だってそんな感じで良いと思います。色々な経験を積んでから同じものを読んでみたら,見えるものは違った味がします。昔と比べて,どう感じ方が変わったのか。それを楽しむことができるのは感じたことを記録した人に許される特権です。まずは自分のために書いてみよう!!他の人にも読んでもらいたかったら頑張ろう!!

 さて、Twitterなどで散見される,コンテンツに対するネガティブな言葉もある意味自分のための言葉,文章なのでしょう。私はああいうのは好きではありませんが,自分の気持ちに折り合いをつけるために言葉にしていると思うと可愛いものです。まぁもう少し人目につかないようにしようよ......とは思いますが。

『絆光記』第4話 「ナラティブⅣ」より
同上

 この2言が性格の根底にあり,反骨精神のようなものをガソリンとして動いている私ではありますが,毒を吐く場所くらいは考えます。ファンの只中で毒は吐きません。オタクに市民権が今ほどなかった頃,皆で身を寄せ合ってたではありませんか。いや,そうでもなかったか。

 なんでこんなことを捩じ込んだかというと,私は推しにネガティブな言葉を見てほしくないのです。言論統制をしたい訳ではないし,あの人たちも押し入れに物を押し込めたような世界を見たい訳ではないでしょうが。
 それでも推しには少しでも明るい世界を見てほしいのです。
 結局,言葉を残す場所を考えようという話ですね。

 さて,【王と蚤】の1コミュ目,「興じたい」のめぐるのファンが私の想いを代弁してくれました。供給する側が,自分の作品に対してこれを言うのはあまりよくないとは思いますが,受け取り手としての私はこの気持ちで居たいです。

俺は楽しめたんだよ‥‥
俺が今日の映画を楽しめたって事実は変わらない

 これもあって,私がネガることはほぼないでしょう。私にとって刺さらなくても,誰かにとってはそうじゃないかもしれないから。ネガるくらいなら黙ります。   

 話が逸れました。

 結局のところ,私はちゃんと書かれた文章も,チラシの裏の落書きも。誰かに読まれるための文章であってもそうでなくても,ポジティブだろうがネガティブだろうが,等く全てを愛したいのです。

 何かを書くと反応が気になるかもしれない。でも多くの人の目につかなくたって良いものはあるし,反応しないだけでそれを好きな人はいる。だから,みんなも,
たくさん文章に触れよう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
読むのも書くのも楽しいよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


 こんなとりとめのないものを読んでくださった方。ありがとうございました。
「シャニマス感想コンテスト」をはじめとした色々に対する私の想いでした。
 またどこかでお会いした時はよろしくお願いいたします。

まきしらりあ








「感想コンテスト」が終わってからこんなものを書くという。
これがほんとの反抗期 ってねw

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