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良質な話し合いは、良いアイディアではなく多くの学びを育む

大学、大学院の授業が好きだ。具体的には「学びあえる」という環境をつくることが好きだ。一方的な教えるという行為には全く魅力を感じないけれど、学生や参加者が話し合いの中から多くのことを学んでいく瞬間を目にしていると、ワクワクせずにはいられない

普段は、おちゃらけていたり、あまり真面目とは思えないような学生がいたとしても、とある事柄には熱意を持っているかもしれないし、意外な側面や発言があることだってある。そこから学べることは多い。また、発言の裏側を探索していく時間があるとすると、そこにはいくつものストーリーが隠れていて、ちょっとした時間でその人の数年分の人生の旅路にお邪魔することだってできるかもしれない

話し合いの中では、年齢も立場も関係がない。というのも、テーマが「誰も答えがわからない」ことであればなおさらだ。結果がわからないことだからこそ、様々な立場で話すことが意味を持つ。「その視点はなかった」ということが起これば、そこに学びが発生するし新たなアイディアや発想のタネが生まれる。そして、始まった頃には知り得なかった世界のことが見えてくることがある

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そういった意味で僕は大学、大学院の授業が好きだ。ただ、この学びあいを起こしていくためには、やはりファシリテーションスキルが必要で。客観的に話し合いをサポートしながら、それぞれが見えていない領域がどんなところか、心の中にしまっている言葉や経験が他にないのか、発言の中の意味をいくつも見つけながら場に戻してあげるとか。こういう環境が作り上げられていけば、大きな変化が見えてくる。ということを、今期、同志社大学大学院の授業では取り組んでいる。各回にファシリテーターの役割を担ってもらうようにした。果たして、みんながどれくらいその意味を理解し、取り組んでいってくれるのか、検証していきたい

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