社会のレールから外れて死にたくなったが、登山したくなかったので生きている
タイトルからきた人はどういうことかと思うだろう。
でも本当なのだから仕方ない。
私はあるうつ病に関する本を読んだ。
その中には「死にたくなったが富士山の景色を見て生きようと思った」と書いていた。
この言い回しがあったから、わたしの命は救われたのだ。
もちろん山には登らなかったが。
あの言葉に出会ったのは休職中に読んだマンガだった
わたしは新卒3ヵ月でうつ病になった。
今まで真面目で決められたレールの通りに歩いてきたのに、いきなり社会のレールから外れてしまったのだ。
そのため休職中は「もう生きている価値がない」と思い続け、何度も死にたくなった。
死の気持ちから逃れるために、わたしはうつ病から回復した体験談を読みあさった。
何かそこにヒントがあるのではないかと、救いを求めるように見ていた。
結論からいうと私の欲しかった「すぐにでもうつ病をなおす方法」は書いてなかった。
それはそうだ、そんなもの世界中探してもない。
でも、死なないためのヒントはあった。
それが「死ぬまでに絶対、富士山には登ったほうがいい」という一文だ。
なぜかそのワードが心に残った
「死ぬ前に山登りをしたほうがいい?」
私は疑問に思った。
その人いわく、うつになったけど富士山からの景色が綺麗で生きることにしたようだ。
当時の私は、まだまだストレスで頭は回らないが考えてみた。
「え?じゃあ私、死にたいなら山登りしないといけないの!?」
さらに山登りをするには道具が必要で体力もいる。
「めんどっ」
そう私は山登りまでの道のりが、面倒に感じたので生き延びているのだ。
死にたいと思う気持ちは、いきなりくると思うが、死にたくなくなる気持ちも、ある日いきなりくる。私のように心に引っかかるワードが、生きる気持ちを強化することもあるのだ。
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