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2022年9月の記事一覧
今後、我らを救うモノ
1、素質がない根性がない若さがない
でできる唯一の武道、合氣道
その思想技術を掴め!ただし、野口整体と
マクロビ食事法を含む必要あり
2、カタカムナ。最深最短の音読法を学び、
イヤシロの場の科学を知れ。
3、日めくりアイデンティティ!
日々、偉大な先祖を確認せよ!
性の栄養と“場”の力
女性は環境から電気が入り、
常に満たされていない男性に
分け与える前駆流的構造を持つが、
そんな女性も場の力によって、
育てられ方、扱われ方で、
アマナ総量はあまりに違ってしまいます。
“場”の力は誠に恐ろしいものがあります。
宇野多美恵
*この雑誌の撮影は2004年、
宇野さんがお亡くなりになる
2年前。ここでは93歳と
書かれたが実際には87歳。
宇野先生の軽井
性とは、
性とはケガラワシイモノ、うとむべき、
秘むべきこと、
しかし、それなしには人間は、
生きてゆかれぬ業の深いもの
といふやうな共通観念を
強く持たせられるという
大矛盾の中、我々は
生きてきた。
私はそれをカタカムナを
説くことによって、
改善してゆきたい。
宇野多美恵
観音の思想①前駆流
〜アマウツシは最高の救いの道〜
宇野は上空を送電線で電気が通されるが、
並行して空中架線一本ごとのアースされた
電流は総合的に送電線と並行して回路が通じ、
これが表の送電線の流れを良好にし、
本電流をむしろ誘導している見えない線の
流れをイメージして“前駆流”と名付けた🤗
続・性の栄養!🤗
人間もまた天地より氣を受けねばならないが、
それは女性を通じて、男性に入っていくものなので、
男性は女性を触れたがるものなんだという、
ユニークな考えです。これはスケベ心ではなく、
天然の理なのだという。
環境(自然)ー>女性ー>男性 の流れで電気が流れるという🤗
決心
1949年にカタカムナ文献を発見し
15年以上をかけて解読した楢崎皐月は、
1974年7/31に亡くなられた。
当時20歳だった儂だが、
今もその時のショックは忘れない。
その当時は文献の全ては公表されて
いなかったが先生の死後5年後に
決心を固めた宇野多美恵氏から、
初めて全部のウタヒを見せて貰った。
すべては体の関数!
<人間の考えだす思想、哲学はすべて体の関数である>
これが私の結論です!
交流分析という分析法がありますが、
大人・子供・教師の三人が自分の中で
葛藤を起こすのでそのバランスをとる
という考えです。
この場合、教師は額に、子供は小腸に
大人は卵巣or睾丸に棲んでいる🤗
すべては相似象
カタカ(ム)ナの常用
<戦艦大和ノ最期>
沖縄特攻作戦の中、
奇跡的に助かった
乗務員が敗戦詔勅を
聞き、深夜一日で
書き上げた本。
もちろん7年間の
占領期間中は発禁!
敗戦前の人の集中力は凄い!
もちろん、漢字とカタカ(ム)ナ
だけで全文が書かれている。
カタカ(ム)ナの常用は左脳が
動き出し記憶力、行動力を増す!
最終章、ミトロカヘシ!😎
ここまで説明すると、9/25の両国講演会でなぜ、
カタカムナ・合氣道・マクロビを併せてやるかが、
少しは理解されたかと思う🤗
最後に、その三つの共通点を申すと、
カタカムナウタヒ最終章、ミトロカヘシ!
大逆転(元素)転換である🤗
弱者が強者になる合氣道、マクロビもまた、
転換の法を説く🤗
カタカムナと合氣は言霊で結ばれる
カタカムナと合氣道の共通点は言霊である。
最晩年の植芝はまわりは何を翁が
言っているかを解らぬほど、神名を含めて
神様のお話が多かったが、結局は言霊の話で
ある。
日本語の話しと語りは、神ごとである🤗
通常言語は人と人の話だが、
日本語は神を介して人と話すので、
原則、主語がない🤗!
性の栄養
できれば、25日両国でお話ししたい内容だが
ここでも言っておく。
カタカムナ(量子物理学)とマクロビ(進化する食育)の
共通点が一つある。
それは物理には疎かったが直感力のあった宇野多美恵が
鋭い嗅覚で指摘した『性の栄養』という概念である。
当然、性の栄養失調もありうる😎
少し、長いですが、重要です!🤗
<カタカムナの骨格とは?>
楢崎が満州で最後に研究したのは
統一場の研究であり、反重力の研究でした。
1919年ケーニヒスベルク大学の無名の数学者テオドール・
カルツァーはとても奇妙なアイデアを思いついた。
それを書き記した手紙を受け取ったアインシュタインは、
言葉も出ないほどの衝撃に襲われたという。
カルツァーは重力、電気、磁気を一つの一貫した
統一場に対するアイデアであった。
カルツ
無名な有名人、楢崎皐月
楢崎皐月、1899年山口で生まれる。その後、両親は
北海道に移り住んだので北海道で出生届が出され、
戸籍上は小樽市になっている。
後に電子部門の学校に行った後、人造石油の研究で
軍部の目に留まり、満州で高純度製鉄の業務に就く。
そこで場によって製鉄の出来不出来があることを知り、
イヤシロチの着想を得る。
終戦の前年、1944年に老子廟で蘆有三導師に会い、
上古代の日本に「アシヤ族」という高度