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『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』S1でレイニラにどハマりした。

『ゲーム・オブ・スローンズ』の前日譚として、ターガリアン家を中心に描く『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』(日本ではUNEXTが独占配信)。

初めて観た海外ドラマが『GOT』という強烈な体験をしてどハマりした私。
10月に配信終了した本作を今更ながら視聴し、主人公レイニラ・ターガリアンに夢中になってしまった。

このnoteは、そんな私が『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』シーズン1の第五話までで特筆すべきと思ったRhaenyraAlicentDaemonの3人のキャラクター像について思うことと考察を記している。

相関図は提示していないこと、ドラマのみ視聴した時点で書いたため勝手な憶測や妄想が多いかもしれないことをお許しいただきたい。
また、キャストやスタッフによるキャラクター解説を見つけ次第、適宜加筆していこうと思う。

画像の出典は記事の最後に記した。
サムネイル:IMDbより

Rhaenyra Targaryen

Photograph by Ollie Upton / HBO-WarnerMediaより

この作品にハマった理由の一つが、Milly Alcock演じるレイニラである。シーズン1前半に描かれる少女期のレイニラは、王女だが「無鉄砲で見境がない」、父親にとっては心配の種となるわんぱく娘である。そんな彼女をMillyは魅力たっぷりに演じてくれた。
第五話までに私がレイニラに見えた、少年らしさ、またはターガリアンらしさ、そしてドラゴンとの関わりについて考察する。

女性、王女の葛藤と少年らしさ

レイニラは第一話の冒頭で、ドラゴン(シアラックス)に乗って現れる。竜舎だろうか、広場のような場所で守竜士の男性と見習いの少年が待つ。少年は龍との距離を取るのも危なっかしい様子だが、レイニラは慣れた手つきでシアラックスから飛び降り、撫でてから馬車で待つアリセントのもとへ向かう。
彼女が着ているのは竜の鎧をモチーフに添えた男性服に似た服(以後、男装服と呼ぶ)で、アリセントは裾の長いドレスだ。

ここまでで視聴者の目には、ドラゴンにのり慣れ、男装服を着て動き回る、ただの”プリンセス”ではない少女が映る。 

母に出産こそが女の役割だと言われ、「騎士としてドラゴンに乗るほうが良い」と答える彼女からは、『GOT』のアリアが思い起こされる。アリアも、プリンセスになりたがる姉を軽蔑し戦う訓練をし、最終的には立派な剣士へ成長する。
しかしレイニラは、小評議会で酌取りの役目を与えられており(アリアもタイウィンに)、王位継承者となっても議会に口を挟めば厄介払いされてしまう。

“女だから”というただ一つの理由から。同じ理由で玉座につく機会を奪われたレイニスはそれが世の常だとレイニラを諭している。 

つつましいレディになることを抵抗する態度として象徴的なのが、第三話の王の森での狩りの場面。
王の嫡男エイゴンの命名日に、男性も女性も正装で席に参加している。スイーツを手に世間話をしているレディたちの和にレイニラは呼ばれるが、ドレスではなく男装服で髪も結い上げていない彼女は異質に映る。
この前の、アリセントがレイニラを狩りに誘う場面でも彼女は竜の鱗のついた男装服を着ており、敵意むき出しであり、馴染む気はないようだ。
踏み石諸島での戦争に王も参加すべきだという高齢のレディに対し「ワインを飲み、ケーキを食べるのがあなたの役目?」と言い放つ。

この狩りの場面では、さらにレイニラが孤立している様子が描かれる。アリセントが王の嫡男を生んだことが、レイニラにとっては(男性が継ぐべきとされている)王位を継ぐ障害となり、反対にハイタワー家にとってレイニラは邪魔な存在となってしまっている。そしてこの場の唯一の身内、味方であるヴィセーリスは息子をかわいがっていて、ラニスターを結婚相手にあてがって自分を追い払おうとしているように彼女には映った。嫡男が生まれたことで、ジェイスン・ラニスターが述べているように彼女は”用済み”と周囲から認識されているのだ。

まさに、「No one's here for me.(敵だらけね)」。

翌日の朝、”王の森の王”、白い牝鹿がヴィセーリスではなく彼女の前に現れたことは救いや、美しい朝焼けともに希望を象徴しているよう。

IMDbより

 傲慢さというか、ターガリアンの持つ大胆さとでもいおうか、レイニラのそんな一面を象徴的に表現したシーンがある。
第四話にて、夜にデイモンと町へ出たことをアリセントに問い詰められる場面である。
ここでレイニラは―意味ありげな目線や音楽もなしにー真実を混ぜながらも嘘をすらすらと並べる。そして、レイニラが娼館に言った経緯を話す途中で「何もしてない」と述べてアリセントが背を向けた後、ふいに音楽が流れ始め、アリセントを前景にレイニラにピントが合わさる。
レイニラは「その後彼は酷く酔って―」と続けるが、そこで”事”は起きたのであり、完全な嘘をついているわけである。

 この嘘の吐き方は、またアリアを思わせる。アリアはこの業を”顔のない男”になる過程で身につけたが、レイニラは生まれ持った性格として身に着けているのだ。

さらに、些細だが面白いと感じた演出がある。

IMDbより

第一話の、本を読むアリセントと、膝に寝るレイニラ。
アリセントが(本を読むために)下を、本には興味を示していないレイニラが空を見ている。レイニラも本をよく読むようなのでこの図にあまり意味はないだろうが、決められた枠に収まるアリセント、飛び出そうとするレイニラを端的に表しているシーンに思えてしまう。

ドラゴンとの結びつき

レイニラは、シーズン前半において、最もドラゴンとの結びつきが強い。既に述べたようにドラゴンに乗って彼女は登場し(ターガリアン家を描くなら当然のオープニングか)、両親からは「またドラゴンに乗っていたのか」と言われる。第二話には小評議会にて酌取りをしつつも、踏み石諸島の戦について「ドラゴンに乗っていけばいいじゃない」と提案する。これはメンバーたちに嘲笑されるが、戦がドラゴンのおかげで終結したことを考えると、彼女がドラゴンの扱いに王よりも一歩リードしていることを表すのではないだろうか。
同じく第二話で、レイニラは父の許可を得ずにシアラックスに乗ってドラゴンストーンに赴き、流血の事態を起こさずに事を収めてもいる。

第五話までにデイモンが3回騎竜し、レイニラは2回+小評議会の提案と同等のドラゴンとの関わり方で、王のヴィセーリスが0回なのは面白い(数え間違いでなければ)。

少女性

 Photograph by Ollie Upton / HBO (nypostより)

ここまでレイニラというキャラクターを表す部分に言及してきたが、正直彼女の性格がつかめない。Millyのハキハキした演技によって主人公らしい主人公が描かれるのかと思いきや、叔父に捨てられれば護衛の男を誘惑している。異国の愛人に迫られる展開はデナーリスにもあったが、レイニスはまだサー・クリストンの忠誠を得られておらず愛人にはなってもらえない。堂々と嘘をつくし、かなり自分勝手な行動ばかりする。女王になる素振りなど見せなかったのに三話以降はその地位を死守しようとしている。

この、どうしようもなくおてんばな彼女をどうしても応援してしまう自分がいる。レディ、王位継承者という重い立場に潰されそうになりながらもドラゴンに乗る、役割を果たしつつ奔放に過ごすという自由さを持ち、男たちを蹴散らそうとする”少女”をMillyが巧みに演じてくれたおかげだと思う。
(私は字幕派だが、最近ワンピースでヤマトを演じている早見さんが吹替なのも嬉しい。) 

Millyはインタビューで、レイニラを作り上げるにあたってデナーリスではなく、『エリザベス:ゴールデンエイジ』(2007)のケイト・ブランシェットや『ローマの休日』(1953)のオードリー・ヘップバーンを混ぜ合わせた女性をイメージしたと話している。

「彼女は機知に富んでいて、生意気だけど、与えられた役割を果たさなければならない。そのことにかなり違和感を抱いている」

第五話で王女としての役割を受け入れ結婚したことは上の2作のラストと確かに重なる。シーズン1後半を観るように彼女が役割を果たしつつ「カモ」をつまんでいるのを見ると、素直に褒められたものではないが、それはこの物語の人物の良さでもあるだろう。

Alicent Hightower

Photograph by Ollie Upton / HBO -Warner Mediaより

レイニラの対極として、『GOT』のサーセイのような位置にいるのがアリセントである。

Ladyに徹底する少女

王女という重要な立場にいながら自由に動き回るレイニラとは対照的に、少女のアリセントは徹底して、ときおり不満そうな表情を浮かべながらも父の言いつけに従う。
従順な態度を保つストレスがその手に表れている。怒り、憤りをどこにも逃がすことができず、手を自分で痛めつけているのだ。
「王宮で一番器量がよいのになぜ台無しにする?」という父オットーは、娘の心情など気にも留めず、彼女を王妃にすべく王の元へ行くよう命じる。

タイウィンも、権力を追い求めてばかりで、全く子どもたち(=サーセイ、ジェイミー)のことを見落とし、自らを不利な立場に置いてしまうことになったが、彼はどうなるのやら。

Photograph by Ollie Upton / HBO-WarnerMediaより

アリセントというキャラクターを特に表す場面として、ヴィセーリスとの会話を挙げたい。

第二話でアリセントは、ヴィセーリスが落とした龍の模型を拾うのだが、その時にくるっと手で回す動きをする。このなんてことないしぐさは、彼女の”器量の良さ”や、龍=ターガリアン、およびヴィセーリスをコマとして扱っていくことを暗示しているようではないか。
この模型を石工に修復させてヴィセーリスに贈る、という行動も献身的な面をターガリアン家との関わりと絡めつつ表現する、緻密に構成された場面となっている。

『GOT』も同様だが、こういうところを見つける度、細かく見ても全くほつれのない完璧な脚本に感嘆してしまう。

王家の赤から生家の翠へ

Photograph by Ollie Upton / HBO-WarnerMediaより

王妃となってからは、アリセントはターガリアン家、王家の色である赤を着ることで従順で忠実な王妃を演じた。レイニラをヴィセーリスの第一子として、王位継承者として敬う姿勢を取った。レイニラが意地を張ってあからさまに彼女を避けようとしても、デイモンと街に出て不埒な行動の疑いをかけられた時も。

しかし、第五話で(バカ真面目な)サー・クリストンの白状により、レイニラに裏切られたことを知ったアリセントは、レイニラを祝う席に生家の翠をドレスを纏い、ヴィセーリスの言葉を遮って堂々と姿を現す。
おとなしい彼女は、その怒りを言葉にすることはない。だから、衣裳が代わりにそのガチギレの感情を表現しているのだ。この場面ではラリスの台詞で”宣戦布告”であることがはっきりと示されたが、衣装とはこのように象徴的に、しかしひっそりと、キャラクターについて説明を与えてくれるものであり単に物語を装飾するだけのものではないと私は思う。

シーズン1後半でも、何とかレイニラの体裁を守ろうとしている彼女だがドレスはずっと翠である。レイニラが玉座につくまでに、彼女が赤を纏うことはあるだろうか。

Daemon Targaryen

Photograph by Ollie Upton / HBO-WarnerMediaより

愛に飢えた弟?

ターガリアン家らしく奔放で無鉄砲さ、残虐さを持つデイモンだが、第一話目からどうも甘い部分が見え隠れする。
・王の楯の総帥として残虐行為をはたらく
・王子を侮辱して王都から追い出されて踏み石諸島の戦へ行く
・ドラゴンストーンを占領
・姪に手を出して再び追放
・妻を殺害
などのトラブルを起こし、兄である王ヴィセーリスには悩みの種である。
しかし、どれもただ厄介なことをしているというのではない。彼なりの思惑がある。

Matt Smithはインタビューで、デイモンは権力にも関心を持ちつつ、それよりも対立や混沌に興味がある人物と明かす。権力を手に入れるよりその障害となるような行動をすることが彼も生きがいにもなっているのでは、と考えているようだ。

権力を持つ兄に迷惑をかけるような行為は、混沌を楽しむのと同時に自分を遠くにやる兄への存在アピールでもあるように私には思えた。

王子の侮辱(これは完全にアウトだが)で王に呼ばれる場面では、小評議会の言いなりになっている兄を注意し、自分を王の手として側に置くように言う。当然退けられるが、ずっと遠くに置かれてきたことを根に持っているような発言をしている。
踏み石諸島の戦では、ヴェイモンドの要請を受けて兄の援軍が来ることに腹を立て、自ら敵地へ乗り込むことで、コアリーズが言うように自分で勝利をつかみ取ろうとする。
戦地から王都に帰った際には、わざわざ王冠を被って登場し、それを外して献上するパフォーマンスをして見せる。デイモンはプライドは高そうだが、自分の楽しみのためには、膝をつく行為もいとわない性格のようだ。

ドラゴンストーン城を占拠する、以下については後の項目で言及することにしたい。

甘え

Mattの特徴的な目元から発せられる疑い深い視線は周囲の人々だけでなく視聴者をも跳ね除けてもいるが、デイモンの弟らしい一面を表すのが"首を相手にもたげるしぐさ"である。
ミサリアに2回(第一、二話)、兄に1回(第四話)みられ、第五話までにレイニラには行っていない。
信頼する人物に見せる姿かとも思ったが、第二話で事情など何も伝えないままミサリアを自分のわがままに利用していたことを見ると、本当に気を許し甘えたいのは兄に対してだけなのかもしれない。このしぐさは、"弟らしさ"と共に、手が付けられない厄介な存在に見えるキャラクターに同情をもたらす大事なポイントだと思う。

ヴァレリアの銀髪を持ったキャラクターは男女問わず髪を伸ばし、誇らしげに下ろしている。『GOT』でデナーリスも物語が進むにつれてウィッグの毛量が増やされ、編み込みが複雑化していった。
しかし、第四話冒頭でデイモンはその美しく長い銀髪をばっさり切って現れる。

Photograph by Ollie Upton / HBO-WarnerMediaより

シーズン1後半に登場するエイゴンは髪が比較的短く、成人したレーナーも銀髪を意図的にカットしているキャラクターである。この二人に共通するのは、権力に関心がなく、まして王座など狙ってもいないということ。エイゴンは結局王にたてられてしまうが、レーナーは坊主にまでする。

既に述べたように、デイモンは第一話から玉座に座ったり、小評議会のメンバーに危険人物だとみなされたりしているが、本気で玉座を狙っている人物に見えない。また、髪を切る行為は禊を表すこともあるので、第四話でデイモンが髪を切ったのは王に対する忠誠心や兄を敬う姿勢を示すためだと考えた。(前髪ハラリもGood)
とはいえ直後に姪に手を出しており反省は見られないのが掴めない奔放なキャラクターでまた魅力的だ。

槍試合でわざわざ王の手の息子を対戦相手に選ぶなどの、兄に対する警告が裏目に、というかヴィセーリスが鈍感なために不遇な扱いを受けている点も彼を完全に嫌うことができない理由なのかもしれない。何より、Matt Smithが、"性根が腐っているが放っておけない人物"の加減を表現するのがうまい。彼の出演作は『ザ・クラウン』『ラストナイト・イン・ソーホー』を観たのだが、それぞれでのキャラクターにおいて”人懐っこさはあるが人を自分には近寄らせない”ような一面が共通してはいないだろうか。

Rhaenyra と Daemon

さて、レイニラ好きとしてこれは書かずにいられない。この項目では少しハメを外し、一カップル好きとして語らせてほしい。

二人には、兄、王、父であるヴィセーリスを鏡にしたかのように、類似した点も多くみられる。

・銀髪を持つターガリアン家
・王位継承者候補
・王ヴィセーリスに近い存在
・王と違って騎龍者である
・世継ぎができれば用済み
・生来の自由さゆえに王宮から孤立

シーズン1後半で夫婦となる、この似た者同士の二人の関係性をネックレス言語の3点から考えてみた。

ネックレス

Photograph by Ollie Upton / HBO-WarnerMediaより

第一話
玉座に座るというとんでもない行動を見せるデイモンとそれを受け流すレイニラから既にこの二人が親しい間柄であることがわかる。
デイモンはヴァリリア鋼のネックレスを贈る。

ネックレス、を姪に、贈る????しかもヴァリリア鋼??

そのあとのデイモンの台詞を並べてみよう。
「後ろを向け」
「これで、お互い一族に伝わる品を装着してる」

????
待ってくれ、頭がショートしてしまう。

「きれいだ」

……開始10分で見せつけられるターガリアン家の血縁者間の距離感に置いて行かれた。

これをさらっとやるデイモン、受け入れているレイニラ。
一連の流れの間レイニラの台詞はなく、ここではデイモンが彼女をリードしている。
(私は字幕派だが、デイモンの吹替はかの津田健次郎さんが担当しているので、ここで墜ちた人は少なくないと思う)

第四話
印象的なのは冒頭、婿選びの場を映す前にレイニラが首のネックレスをいじるショット。アクセサリーをいじるしぐさもだが、それがデイモンに贈られた一族の装飾、”ヴァリリア鋼”ときては、彼女に婿を選ぶ気が全くないことを示すどころか、カップル好きの視聴者の火に油を注いでくれる。

IMDbより

そして、神々の森での再会の場面。
「なぜ戻ったの?」と聞くレイニラにデイモンは笑みを見せ、ネックレスを撫でる。レイニラはなんだか誇らしげな表情をし、「何が望み?」と聞く。
彼が自分のために戻ったのかも、と思っているのだろうか。

私は取り立ててこの二人について騒いでいるが、男女関係に限らず「この人たちはもしかして…」と思わせるような演出が多いのもこのシリーズが好きな理由の一つだ。

ここは絵としても美しく好きなシーン。

Photograph by Ollie Upton / HBO-WarnerMediaより


高地ヴァリリア語での会話

2人の会話はいつも高地ヴァリリア語で始まる。
周囲の人も理解できるはずなので、必ずしも"2人だけの世界"を意味するものではないが主に英語で進められるドラマの中では異質に映る。

言語は社会的集団を分別する要因の一つでもあるし、自分が言語による価値観の違いについて興味があるのもあって、二人だけの会話で言語が変わる表現がなんだかとても高貴な趣向だな、と惹かれてしまった。

Photograph by Ollie Upton / HBO-Warner Mediaより


特に第五話の、踊る客人たちのなかで2人にピントが絞られ、あやしげな会話がされる結婚式のシーンでは、繋がりの強さ(または倒錯した親密さか?)や、その異様さをはっきりと示した。

”血”

ドラマのテーマである”血”が、二人ともターガリアン家の血を受け継ぐ者として大事なポイントになるのは当然である。

しかし第三話では、同じ家でかつ近縁者である王ヴィセーリスとは2人が異質な存在であること、視聴者が二人の影を重ね合わせて見ることができるような描写で話が締めくくられている。

この回で王ヴィセーリスは王の森で狩りをするが、実際は臣下たちがロープで捕まえた状態の獣を銛で刺すだけ。
重そうな服を着て心臓の位置を指示までしてもらい、まったく手を汚さずに獲物の命を奪い、拍手を送られている。

Photograph by Ollie Upton / HBO-WarnerMediaより


対して、貴族たちから逃れてサー・クリストンと共に森の奥へ入っていったレイニラは、焚火をしているところに現れたイノシシを(最初の一突きはクリストンによるものだが)、何度も刺して返り血を浴びる。

その姿のままキャンプ地へ帰った彼女を、ヴィセーリス、アリセントはじめ貴族たちはおぞましい光景を目にしたかのような表情を向けるのだ。

Photograph by Ollie Upton / HBO-WarnerMediaより


一方デイモンは踏み石諸島の戦に苦戦しているところで、ヴィセーリスの援軍の知らせを受けて”蟹餌作り”の拠点へ乗り込む。レーナーのドラゴンやコアリーズたちの軍に助けられて、ドラハールを打ち取り、分かれた上半身を引きずって洞窟から出る。

煙の中から姿を現したデイモンは頭から血を被っていて、血まみれなのである。

よくできてるな、と感心せずにはいられなかった。

”歴史好きで田舎の領主向き”なヴィセーリスとは異なり、自ら戦地に踏み入り、血を浴びて居場所を勝ち取る二人。
レイニラもデイモンもこれらの場面が第三話での最後の登場であることで、第四話を前に2人の印象を視聴者に強く印象付ける効果が生まれている。

思ったより凄い顔。(IMDbより)


さらに面白いのは、王の森でアリセントがひときわ鮮やかな赤のドレスを着ていること。王妃として子を産む役割を果たす彼女が、血を見る運命にあることを、戦いによって血を浴びたレイニラと対照的な位置に置くことで暗示しているようにも見えるのである。

エイゴンが安産だったし、とこの時点で母という役割をまだ甘く見ている彼女は、ヴィセーリスと同じように生ぬるい経験しかしていないのだ。

複雑さ

Photograph by Ollie Upton / HBO-Warner Mediaより

このように共通点が多く、制作陣によって”公式カップル”のように描写される二人だが、そう単純な間柄ではない。

⑴ネックレスはプレゼントであると同時に、デイモンが彼女を自分の手元に置くという印にも見える

→第九話でデイモンがレイニラの首を絞めるシーンがある


⑵彼は初登場のシーンや、レイニラには首をもたげるしぐさ=甘えた部分を見せない
…年長者または男としてか、彼女をリードする様子

→第二話のドラゴンストーンの会話でレイニラが「私を殺しなさい」と言うとデイモンは去る。
→レイニラが王女の役割を果たすと割り切った第五話の会話では、レイニラが優勢に立っている。
この点はシーズン後半で女王、母となったレイニラに対してどう変わるか検証してみたい。

⑶演じたMillyとMattは二人の関係について、異常な親密さは表面的なものと捉えており、まだレイニラは愛の分別がついていないのだとしている。

デイモンが起こした厄介ごととして、
・龍の卵を盗み、ドラゴンストーンを占領
・妻を殺害
を既に挙げた。

レイニラが成長しきっていない子どもであることは確かだが、デイモンのこれらの行動は表面的な感情によるものだろうか?上に関してはレイニラが王位継承者となったことへの腹いせの行為ともいえるだろうか、妻を殺した理由は第五話の会話で明白ではないだろうか?

(第七話で叔父に捨てられた、というレイニラに「子どもだったからだ」と答えているが、遊びで手を出したならこう弁明するだろうか?)

この組み合わせが好きなのは、レイニラの支えとなっているデイモンとの関係が気になるからだが、王にしか気を許さないデイモンがレイニラには自分に近づくことを許しているように見えるからという理由もある。
(参照元が見つけられていないが、Mattによるとデイモンが高地ヴァレリア語では本音を話しているとのこと)

このように、優位劣位が入れ替わったり、全くもって単純な相思相愛だとは言えないのが二人の間柄なのである。
一歩引くとレイニラは単に叔父の血を利用しているようにも、デイモンはそれほど彼女に興味が無いようにも見える(Mattの演技に拠るところか?)。

こういうところにも、血は争えないというか、近縁者ゆえの関係性を表していてまた惹かれてしまうのだ。


さいごに

さて、ここまで長々と考察(妄想?)を進めてきたが、特にレイニラとデイモンの2人は深い思慮などなく表面的で軽率で無鉄砲で、利己的なだけなのかもしれない。また、レイニラとデイモンの関係は普通に考えればアウトなので、あくまで物語上のものとして楽しんでいることを強調しておきたい。
そして母であり王に近い者として敵対しつつも幼馴染として離れずにいられないレイニラとアリセントの関係も気になるばかり。

Photograph by Ollie Upton / HBO-Warner Mediaより



既に書いたが、この作品では1シーズンで20年ほどの物語を描いており、視線のショットや無駄を削ぎ落した台詞によって、できるだけ端的に表現し、詳しい説明を避ける傾向がある。だからこそ「ここはどういうことだ?」と視聴者(私)は引きつけられてしまう。

悩みもある。レイニラという”推しキャラ”が早々にできてしまったために物語を客観的に見られなくなってしまったこと。『GOT』はどの勢力がどんな悲惨な状況になろうと「ひどいことするわ」くらいで済んでいたのに…

Milly演じるレイニラのおかげでここまで長々とした感想が書けた。
どれくらいの人に読んでいただけるかはわからないが、自分の感じたことをまとめられて満足している。
シーズン1の後半も取り上げたい点が多々あるので、何とかモノにできればと思う。


最後に、シーズン2の配信予定が2024と聞いた私の感情を代弁するミームを貼って終わりにしたい。


画像出典
・IMDb、「House of the Dragon」のページ
House of the Dragon (TV Series 2022– ) - IMDb
・Warner Media、「House of the Dragon」のページ
Property Contents | Pressroom (warnermedia.com)
・New York Post、「‘House of the Dragon’ star Milly Alcock: ‘I was in shock and disbelief’」
https://nypost.com/2022/08/21/house-of-the-dragon-star-milly-alcock-on-playing-rhaenyra-targaryen/

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