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自分が本当に嫌になるとき

自分のことが心の底から嫌いなときがありました。

最近、体調を崩しメンタルも下向きになり、「あ、この自分嫌い」って思うことがあり、なんだか古傷に触れたような感傷を覚えたので、嫌いだった自分をあえて書いておこうかなと思います。

「本当はできるはずなのに」というできない自分に納得がいかないとき

以前承認欲求の記事を書きました。

簡単にいうと、自己評価が低いのに自分に対する期待が大きいんですね。
メンタルちぐはぐ。

特に顕著になったのが、今より10kg以上太っていた時。
高校から大学までの6年間、全然痩せませんでした。
いろんなダイエットを試しましたが一向に痩せない。

中学時代はそこそこ勉強もできて、部活も部長を勤め、地区では優勝してある程度有名人ではありました。そして結構モテた。
また、学校ではあまり馴染めるタイプではなかったけども、先生たちがとても親身に助けてくれたり、あえて創立記念日のイベントで司会やったり目立つこともやっていました。クラスには馴染めないのに。笑
ここで賞賛を浴びる味をしめたんですよね。

中学時代は勉強も部活も頑張って、素敵な彼氏もいて満足する時間。
このまま努力を続けられたらよかったのに高校ではいろんな挫折。
「もっとできるはず」と自分に期待をかけるだけで、努力しない自分。
それはもちろん、結果も出ない。そうすると期待をしていた自分が自分の自尊心を傷つけられる。

自分で自分を傷つけどんどん卑屈になっていきました。

存在価値を他者から認められないと思った時

先に言っておきますが、親のことは今でも感謝しているし、とても仲も良いです。
その断りの元話すと、親が厳しい人でした。
何か私が親の杓子定規から外れることをすると鬼のように怒られる。
部屋が散らかっている、テストの点が悪かった、帰りが遅い。
高校卒業まで門限は5時、予備校以外は電車で遊び行くことを禁じられていました。

何度家を出ていけと言われたことか。
何度ご飯を食べられなかったことか。

いつの間にか親に認められなければ生きている価値はないと思っていました。

その名残なのか、今でも「存在を否定された!?」と過剰に感じてしまうことがあり、胃がきゅーっと縮こまることがあります。
そして実は1週間くらい尾を引きます。

特に恋愛は厄介で、振られるともう存在否定されたと思う思考の枠がなかなか拭えず、自分から告白ができなくなりました。
早く払拭したい。

そんな自分でも好きになれるきっかけがある

今は自分が好きです。
満足はしていませんが、好きか嫌いかで言ったら好き。
ダメな自分もある程度受け入れられるようになりましたし、受け入れたら悔しくて改善したいと思えるようになりました。
(前は「だからどうせダメなんだ」って思ってた)

よく言われるように、この自分として生きるしかないのであれば、楽しく満足する人生を送りたい。
外見は変えられないにしても、くふうはできるし内面はそれこそ鍛えられると改めて思うからです。

そう思えるきっかけは、同僚からもらった一言でした。

「自分に自信が持てないなんて甘えたこと言うな。
 こっちはあんたと働くと楽しいって思って考えて採用してるんだから自信持て!」

同僚自身も友人から言われた言葉らしく、「お前自身のことが好きで友達でいたいと思ってるのに、自信がないなんてよく言えるな。お前を好きでいるやつら全員に謝れ」と。

友人たちが自信を持って「お前なら大丈夫!」と言ってくれているのに、そんな彼らを信用してないことにもつながるし、何よりも恥ずかしかったと。

それを聞いて、私に関わっている人が、私に関われてよかったと思ってもらえる自信をつけたい。
それが大きなきっかけでした。

でもね、たまにはいいと思うのです。
自分のことが嫌いだ!って思う日があっても。
人は完璧ではないし、ずっと前見なきゃ!ポジティブでいなきゃ!と思うと疲れてしまう人もいると思うのです。
本当にたまだけ、嫌いな自分にどっぷり浸かって、それを自分で慰めて抱きしめてあげる。
この力があるだけでも全然変わってくると思っています。最近は。
ご自愛。



しかしながら、他者から完全に隔離された現在の状況はとても辛いです。
自分に目を向けすぎて考えすぎる癖が出てきている分、負の部分まで掘り下げてしまう。
バランスが取れていない状況ではありますが、原因は分かっているのであとはどうするか考えるのみ。(自分に視座を落としすぎずに)

でもふと、やはり同じ空間に好きな人たちがいて、笑いあって感じる体温はとても貴重だし、それが好きだなと思う毎日です。
自分が嫌いになりそうな時は、自分に関わってくれている人たちの笑顔を思い出して自信をつける材料にして生きたいと思います。

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