クリエイティブ職に就かなかったサブカル系の人々のその後の人生


 こういうツイートを観測して、少し考えてみようと思った。 

 (なぜか元ツイが全然見つからなくて探し回っていたが、どうやらツイ主にブロックされているようだった。ブロックされているのに言及するというのは気が引けるが、わたしをブロックしている当人にはこのnoteも届かないだろうから、まあよしとする。)


 サブカル系の人々は、サブカル系であるがゆえにクリエイティブ職に就きたがるけれど、個人的な感覚として、サブカル系であるがゆえにクリエイティブ職に就けないのだろうな、と思う。


 サブカル系の人々と一言に言ってもさまざまなパターンがあるけれど、やっぱりサブカル系の趣味に走る人というのは、メインカルチャーに馴染めなかった経験を持つ人が多い。
 そういった世間とのズレによって傷ついた心を癒してくれるコンテンツこそが”サブカル系”とされる趣味であり、サブカル系の趣味には「自分もこれをやってみたい」と思わせるパワーがある。おそらくそういった趣味は、等身大な表現だったり、消費に身体性が伴っていたりなど、すぐそこにあるような手触りがするから、ただの鑑賞者に過ぎないのに、作品の当事者であるかのように錯覚してしまうのだろう。


 音楽や文学や視覚芸術といったものが最たる例だ。バンドマンも物書きも映画作家も、成功者よりもくすぶっている未熟者のほうが圧倒的に多い。

 その夢見がちな生き方の報われなさを感覚的に理解している現実主義者たちは、くすぶった集団の中から成り上がって勝ち組に仲間入りすることを捨てて、夢見がちな彼らが何かを作り出そうとする営みについて、いちばん近いところで正攻法的に関わることができるような仕事、つまりクリエイティブ職(グラフィックデザイナー、写真家、編集者など)を目指す傾向にあると思う。

 しかもグラフィックデザイナーや写真家や編集者は、例えばクラシック音楽の演奏家などとは違って、膨大な時間やお金をかけずとも、ちょっと美大や芸大や専門学校に行ってみるだけで(それもまあそれなりのお金や時間がかかるけれど)就けそうな仕事だという印象をわれわれは持ってしまいがちだ。

 クリエイティブ職に就きたい人は、自身の才能だけで生きていくことについて夢を見るほど子供ではないけれども、自身の存在が社会において代替可能な歯車でしかないという事実を受け入れられるほど大人でもない、というケースが多いような気がしている(あくまでも個人の主観である)。


 それ自体はまったく悪いことではないし、夢はデカすぎても空回りして仕方がないので、夢と現実の間のいい感じのところで折り合いをつけた自己実現というのはすごく大切だ。
 ただ、クリエイティブ職の特性と、サブカル系の人の性質との相性はすこぶる悪い。 

 わたしも就活をしていたときは制作会社をいくつか受けた身なのだけれど、どこも低賃金・長時間拘束など労働条件が劣悪で、スキルアップとやりがいの名のもとに搾取することでなんとか成り立っているような業界だった。おそらく外から見ていてもそうだと思うけれど……。


 そしてここから先はわたしの自分語り。

 わたしはどちらかというとサブカルの人間だ。サブカルみたいな音楽が好きだし、サブカルみたいな服が好きだし、サブカルみたいな空間が好きだ。べつにサブカルの人間になろうとしてこうなったわけではなくて、居心地のいい場所を求めてふらふらと漂流していたら、サブカルの島にたどり着いた。

 美大を目指したきっかけは、猛烈な学歴厨の親が敷いたレールから外れるためだったのだけれど、きっとわたしがサブカルの人間でなければ、高卒社会人としてどこかの飲食店やアパレルで働いていただろうし、美大進学のために浪人をしたのは、わたしがサブカルの人間だったからという点は否めない。


 美大志望の当初はデザイン科を志望していて、ファッションデザイナーになりたかった。いろいろな美術大学の卒業制作展を見る中で、工芸科の染織専攻はデザインから作り上げるところまで、すべて自分の思うがままにできることを知り、工芸科志望に変えて、無事にその年に合格した。

 そこまではよかった。むしろそのあとがすべてよくなかった。

 これはわたしだけなのか、サブカルの人が全体的にそうなのかはわからないけれど、わたしはとんでもなく協調性が欠如していて、工芸科に馴染めなかった。

 工芸という分野は、ひとりで黙々と材料に向き合うものだと思っていた(だからこそ協調性に欠ける自分でもなんとかなると思っていた)のだけれど、実際はまったくそんなことはなくて、例えば陶芸専攻は窯に入れる日のスケジュールが決まっていて、その日までに各々土を捏ねて、みんなで窯入れの作業をする。わたしのいた染織専攻は、大きな染めの作品を作るとなれば、染料を洗い流すときに誰かに手伝ってもらう必要があった。
 他人を頼ることも、他人に頼られることも苦手なわたしは、コミュニティから見事に孤立して、持ち前の双極性障害の悪化もあって、不登校になってしまった。


 そこからどんどん人生の調子が悪くなっていく。とりあえず2年生の前期をもって休学はしたけれど、復学してまた染織専攻に戻って卒業を目指すことはできないだろうと思った。それならば、完全個人プレーでもなんとかなる現代美術の専攻に行こうと決めて、転専攻をして復学した。

 現代美術の専攻にいた3年間は本当に楽しかった。何を提出しても作品だとみなされる。自分なりの矜持をもって制作はしていたし、今でも自分の作ったものには自信をもっているけれど、何をどう作ってもいいという価値観にわたしはどんどん飲み込まれていって、社会にとって何の役にも立たないものばかりを作った。

 そもそも社会に対する有用性という尺度がわたしは大嫌いなのだけれど、そうはいっても大学を卒業したら社会に出なければならないし、なんらかの職業に就かなければ、食べるものも寝る場所も手に入れられない。大学院進学が第一希望だったけれど(現代美術の制作ではなく研究のために、他大学の研究室を志望していた)、経済的な理由で諦めた。


 大学院進学ができないならとりあえず就活をしようと思い立って、第二新卒や中途採用のクリエイティブ職の求人を探したのだけれど、どこも「実務経験3年以上」「未経験不可」という即戦力しか求めていない感じで、そもそも闘いの土俵にすら立つことができなかった。貴重な新卒カードを捨てたわたしは路頭に迷った。

 第二新卒として次の就活生といっしょに闘う道も選択肢になくはなかったけれど、そもそも就活期間も何らかの職に就いて食い繋ぐ必要があった。まあそこはアルバイトなり何なりをすればよかったのだけれど、そもそもわたしのポートフォリオは雑魚すぎる(なぜなら現代美術の専攻に移って、社会にとって何の役にも立たないものばかりを作っていたので)ので、こんな雑魚すぎるカードで闘ったって、デザイナーになるために4年間の修練を積んだエリート美大生たちには敵わないのだ。

 そんなこんなで適当な会社(内装工事の現場監督)に就職したけれど、正社員になるために提示された条件が無理ゲーすぎて、双極性障害の悪化も待ったなしという感じだったので、2ヶ月で辞めた。

 今は、以前からちょくちょく足を運んでいた喫茶店でアルバイトをしている。双極性障害もなかなかよくならないので(随分とマシにはなったが、やはりフルタイムと同等に働くと躁鬱の波が訪れる)、障害年金を申請しているところだ。


 こうやって俯瞰して見ると、すべてが繋がっているような気がする。精神病気質がサブカル趣味に走らせて(精神疾患とサブカルチャーは切っても切れない関係にあると思う)、サブカル趣味がわたしを美大に導いて、精神病気質が美大にいるわたしの足を引っ張った。おそらく同じような境遇に陥っている人は、わたし以外にもたくさんいるのではないかと踏んでいる。どこにでもあるありふれた人生だ。

 わたし自身としては、この人生はなるべくしてこうなったと思っているし、わりと納得しているので、これからしばらくは障害年金の申請が下りることを祈りつつ、双極性障害とうまく付き合っていくための穏やかな暮らしを探っていこうと思う。
 ここに、”クリエイティブ職に就かなかったサブカル系の人々のその後の人生”のひとつのサンプルとして記録しておく。




♥𝓫𝓲𝓰 𝓵𝓸𝓿𝓮♥ をください♡ なぜなら文章でごはんを食べたいので♡