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私の中の「コロナ疲れ」の本当の意味〜私はゆきりんなのかもしれない編〜

コロナの影響で自粛生活が始まって早1ヶ月半が経とうとしている。

私は受付業務の仕事をしているので

ランダムに会う人が多く 感染リスクが高くて怖いな〜と日々思っていたので

在宅勤務の指令が出た時は むちゃくちゃホッとした。

そのホッとした気の緩みから 自粛生活始まってソッコーで溶連菌になりました。

(一瞬コロナじゃないかと めちゃくちゃ不安になって泣きました。笑)


溶連菌も治り 「さてさて本格的に自粛生活ですな」

まぁ在宅勤務なので就労時間中は業務を行わなくては行けなかったのですが

それでも「STAY HOME」という名の 家で楽しく過ごそうみたいな世間の流れが始まっていた。

個人的には Tシャツが大好きだったので

これを機に ライブやスポーツ観戦の時に買ったTシャツとかを

思う存分家の中で着て 少しでもテンションをあげようとしていた。

SNSには #今日のテレワークTシャツ  というハッシュタグを作り

日々違うTシャツを載せたりしていた。 

まぁ それはそれで楽しかったし 皆の反応も良くて 「えへへ」ってなっていた。

でも次第に 何か 自分の中に違和感を感じ始めるようになる。

「何か この状況の中でも ”頑張ろう”とか”楽しく過ごそう”みたいな気持ちに捉われてるなぁ」と。

この自粛期間中に 

何か新たな事を始めよう!

普段出来なかったことをやろう!

何かを習得しよう!

みたいな 「何か特別な事を得る」世間の流れ。

それに私も乗ろうとする事に 疲れている自分がいた。


そんな中 昔から気の知れた友達と話していた時に

「何か 頑張るのって 疲れるよね」という話で盛り上がった。

一見 「めちゃくちゃズボラ」 にもとれるし

「頑張ってるヤツってダサくね?」のイキってる人にもとれる。

そういうことではなくて

「頑張って”充実してます”っていう生活するの 疲れるよね」ということ。

そんなにそんなに充実させなくて良いのではないか。

最終的には「頑張るのはもう 自分たちより若い世代の子達にお任せしたい。」

という結論に達したのですが、、、。笑

この考えが コロナのこの自粛生活にも反映されている気がする。

そんなにそんなに 自粛生活の中で 頑張らなくてもいいのではないか。

もう自粛して 家で生活してるだけで もう十分頑張ってるやん。

そういう考えに行きついてしまったわけで めっちゃグータラ。 

スーダラ節ならぬ グータラ節という唄を作りたいほど。

第一 英語に「頑張る」や「頑張って!」などという言葉はない。

なので、「頑張る」とか「頑張ろう!」とか「頑張って!」は

日本特有の不思議な文化な気がする。


そして もう一つ気付いたことがある。

この状況になる前の 日常生活の中で

”あーアレもしたかったしコレもしたかったのにー”と日々思っていたけど

時間がない中で 時間を見つけて 趣味に没頭したり 好きな事を堪能したり

動画や映画を見るっていうのが 私にとっての至福だったのね!と。


そして柏木由紀さんのnoteを見た時に 「まさにコレだ!」という言葉があって

「未来への貯蓄が出来ない」という言葉。

詳しくは ゆきりんのnote見てください。 (リンクどう貼るの!)

めちゃくちゃ ウンウン!と 頷いてしまいました。

なので、今の私は ゆきりん!!!(違う)(ゆきりんファンごめんなさい)

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