"夢際"

最近よく旅行をしている。

とは言っても、特別秘境だったり隠れた観光地だったりではなく東京や札幌等々なのだが、ただそんな都会に行く理由として、ライブを見に行く、という大義名分が存在している。

元々家から出ることができなかった人間で、生の音楽を触れる機会がここ数年取れなかったこともあり、僕の【ゲージ】、言語化出来ない感情の【ゲージ】の内容物が今少しずつ圧力の低下によって溢れ出ているのだ。
そんな圧力という2文字、平仮名にすると5文字の単語の意味として、人間で言う圧迫感、もう少し簡潔に言えば押し潰されそうな感情のことだと僕は思うことにしている。なぜなら、その圧力が緩和しているならそれはメリットしかないからだ。いや、デメリットは金が消えていく、というものもあるかもしれないが、僕にとっては大したマイナスの部分には成り得ない。必要経費だと考えている。

そして、本日も僕は札幌にいる。
ライブに行った。
yumegiwa last girlというアイドルグループのライブに行った。

ずっとライブを見に行きたかったグループで、どういったパフォーマンスをするのか、気になっていた。
コンポから流れる音源は『素敵』と形容できるほどに好みの曲調、歌声だったのだが、ラウド系統やハードロック、今流行りのテクノ音楽でもない。そんな彼女らがどうフロアの人間を巻き込むのか。そのことが、ずっと気になっていた。

簡潔に感想を言おう。

圧倒だった。

僕がこれまで行ったライブの中でも、最上位に君臨するレベルだった。

そう。僕はこれまでライブハウスに入り浸っていた人間でもあったし、つまらない音楽も散々聞いた。ここで疑問に浮かぶ。そのライブハウスで聴く場合に限る悪い音楽と良い音楽とは、何が違うのだろうか。ただ、その回答を見つけることはない。回答がないからだ。もっと言えば、個人でその回答を見つけた時、それがビートルズと同等の音楽家になれた時だろう。そんなものである。創作というのは。

疑問点をすり替えることにしよう。
そうだ。僕はずっと【夢際】という単語の意味を考えていたりするのだが、本来の意味はなんだろう。そんな疑問にしよう。

まず、手っ取り早くGoogleで調べた。検索結果はyumegiwa last girlとスーパーカーのyumegiwa last boyしか出てこない。そう、最初の夢際という単語の制作者はナカコーなのだから、ぶっちゃけた話ナカコーに聞けば良いのかもしれない。ただそんなことは到底無理難題なので、考えないことにする。

こう思考を巡らせることにした。夢の際があるのなら、夢には端がある、ということだ。夢の端とは何だ?僕はこう思う。人間の思考の限界点だと。思考が限界に達した、苦痛であると。その地点にいる最後の人間、ラストボーイ、ラストガールは何を思うのか。ナカコーはこう続けている。永遠なる無限。触れていたい夢幻。元々、夢なんて限界はないのだ。永遠に続くのだ。無限なのだ。ただ、そんな無限を諦めた瞬間に端が出来る。ずっと夢を見ていたかった。

ただ、今日のyumegiwa last girlは僕に夢を見せてくれた。

だから夢とは無限なのかもしれない。
それが、良い音楽なのかもね。

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