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『AERA』伊藤計劃記事の話/伊藤計劃研究

 映画公開直前、『AERA』(2015年10月26日号)に掲載された記事についての話です。
 伊藤計劃ファンの間では比較的知られた記事ではありますが、事実面では「当時の新事実」「よく取材してる」と「それは違う」が同居しているため、カネにもならないのに  仔細に書いておく事にしました。
 よく取材している記事とは思いつつも、執筆期間を誤解してる人が無限に出てきてるので煽りタイトルは勘弁してほしい所ですね……。

※雑誌掲載時は「3作だけ残して早世 創作の力信じた作家・伊藤計劃」(目次、https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=17476)「あなたによって語り継がれたい フィクションの力を信じた作家・伊藤計劃」(掲載ページ)でした。また、インターネットに存在するのは抜粋版で、掲載時からかなりカットされています。

   ・

○ 没後初めて、病名が正式公表された。

 肺がんで亡くなったとする記事・文章は誤り。生前の日記から骨肉腫の類であることは明らかであったが、この記事で「ユーイング肉腫」だったと公表された。

○ 近親者、友人のコメント掲載されている。

 肉親三人と大学同窓生のコメントまで載せたのは、2022年現在この記事のみ。

・『虐殺器官』は短期間で一気に書き上げられてはいない

 残念ながら調査不足。『虐殺器官』の原型作品は2004年、『Heavenscape』の題で書かれており、この一点だけでも 執筆期間は10日間や三週間足らずではあり得ない
 また、応募時の初稿と単行本とでは、分量に相違ある点にも留意が必要。『SFマガジン』2011年7月号(p12「ムンバイ編がまるまるなかった」など)を参照のこと。

・「伊藤(計劃)は作品の予告を載せることはあっても、本編はいっこうに発表しなかったという」は部分的に誤り

 同じく調査不足ではあるが、こちらは確認が困難なため経緯を示す。
 ムック 『蘇る伊藤計劃』 の全作品リストでは、

  96年 『海と孤島』(短編小説) 『The Terminal Beach』
  97年
  98年 『CUBE AUTHOR』
  99年 『Spooktale』(アニメ、卒業制作)
      『ネイキッド』 『Mr.Self Destruction』(二次創作同人誌)

 となっている。97年が例外的に空白であり、それ以外の年はむしろ定期的に作品を完成させていた事が分かる。コメントを寄せた篠房六郎氏の卒業タイミング次第ではあるが、ちょうど空白期の記憶が残っていたのかも知れない。
 同時に、漫画家デビュー以前の99年には創作が増えていたのも事実。たびたび創作を勧められては「いやあ、僕はいいっス」と返答していたこととは裏腹に、篠房六郎氏の勧めやデビューに触発されていた可能性も残っている。   (了)


9月27日追記:『SF JAPAN』2010年春号には、大学時代の後輩である新間大悟氏のコメントが掲載されている。

――新間さんと伊藤計劃さんの出会いは?

新間 大学(武蔵野美術大学)に入って、漫画研究会に入会したんです。訪ねた部室で最初に声をかけてきてくれたのが、一学年上で副部長の伊藤さんだったんです。伊藤さんは漫画も描いてましたし、その頃から小説も書いてましたね。当時の漫研には三十人近く在籍してましたが、伊藤さんとは特に仲が良くて、卒業後も交流が続きました。

『SF Japan』2010 Spring

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