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御冷ミァハの「大嘘」(完) 『ハーモニー』読解/伊藤計劃研究

   ( 前回 から続く)

わたしはね、永遠と人々が思っているものに、不意打ちを与えたい。
止まってしまった時間に、一撃を喰らわせたい。

わたしたち三人の死が、その一撃なの……。そうわたしは訊いた。世界って変わるの。

わたしたちにとっては、すべてが変わってしまうわ。そうミァハが答えた。

『ハーモニー』文庫版p336

   ・

 では、いよいよ最後の謎、チェチェン編終盤のやり取りを読み解いていこう。霧慧トァンと御冷ミァハが対面した、一読では不可解な会話の数々だ。

 それ(筆者註:人工の幸福世界)を憎んでいたのは、
 誰よりも否定していたのは、
 御冷ミァハ。あなたじゃなかったの。

『ハーモニー』文庫版p338

 この点は 第1回 にて取り上げた。御冷ミァハの方では霧慧トァンほど社会を憎んではいない。その成立要素たるリソース意識も。
 憎しみの感情はむしろ、霧慧トァンのものだ。
 霧慧トァンが抱き、御冷ミァハが利用した感情である。
 あくまでも霧慧トァン由来であり、御冷ミァハ本来の感情ではない。

「わたしは何とかしなくちゃ、って思った。わたしは、毎年無為に命を落としていく何百万の魂のために、魂のない世界を作ろうと思ったの」

『ハーモニー』文庫版p346

 これが「大嘘」なのは今や明らかだ。
 第4回 にて示したように、御冷ミァハとは子供じみた冷酷な野心家である。社会や他者の為など考えてはいない、動機はどこまでも私的なものだ。  
 大勢の犠牲者はせいぜい、野望の道標でしかない。にも関わらず平然と大義を述べる辺り、さすがカリスマと言ったところだろうか。

「キアンは、死ぬ必要がなかった。だからあんなこと、ミァハはキアンに連絡したんでしょ、あなたは死ぬ必要があるなんて」
「……そう、なのかな」

『ハーモニー』文庫版p349

 零下堂キアンに関したすれ違いは 第4回 後半で取り上げた。
 子供じみた野心家にとっては許せない。
 しかし霧慧トァンにとっては、死ぬ必要までは無かったことだ。
 決して相容れない、不可避のすれ違いである。

『ハーモニー』読解に関しては、おおむね以上のものとなる。
 後は(大変申し訳ないながら)語り手の詰めが残るのみ。
 それを終えたら、全体を通した加筆や再構成を。
 願わくば、紙のかたちで残しておこうと思う。

   ・

 3ヶ月間に渡りお付き合い頂きありがとうございました。
 願わくば、真面目でやる気がある方に研究して頂ければと思います。
 では、またしばらく。

(続きは個人的に作成した作品の時系列リスト、です。極めてマニアックな代物であるため、研究者や超強火ファンだけお求め下さい)

   ・

『ハーモニー』時系列イベントリスト

 小説『ハーモニー』、および関連作の時系列を整理したものです。
 当然ながら、結末までの展開を含みます
 はちゃめちゃに手間がかかったので序盤部分のみ無料公開です。

 ※マジな研究者か超強火のファン向け資料です。
 ※続きでは出典明記、文庫版『ハーモニー』準拠(旧版/新装版同じ)。

 主要登場人物


 御冷ミァハ(28)  イデオローグ。黒幕にして犠牲者。
 霧慧トァン(28)  螺線監察官。長編『ハーモニー』の視点。
 零下堂キアン(28) 一般人。えう。

 霧慧ヌァザ(??) 研究者。霧慧トァンの父。事件後、御冷ミァハを引き取り出奔。
 御冷レイコ(??) 一般人。御冷ミァハの義母。
 冴紀ケイタ(85) 研究者。霧慧ヌァザの元同僚。

 オスカー・シュタウフェンベルク(73) 首席監察官。上司。
 エリヤ・ヴァシロフ(??)       ICPO捜査官。
 ガブリエル・エーディン(??)     研究者。霧慧ヌァザの同僚。
 ウーヴェ・ヴォール(??)       螺線監察官。

 クラヴィス・シェパード(当時30前後) i分遣隊大尉。長編『虐殺器官』の語り手。

   本編前史(簡易版)

 1988年頃 クラヴィス・シェパード誕生
 1988年  冴紀ケイタ誕生
 2001年頃 オスカー・シュタウフェンベルク誕生
 2016年頃 母クラヴィス事故死
 2019年  クラヴィス・シェパード、軍を辞職
       〈大災禍(ザ・メイルストロム)〉発生
       ・2019年に発生した北米を中心とする英語圏での大暴動
       ・北米大陸だけで1000万人が死亡
 2038年  霧慧ヌァザ/冴紀ケイタ「人体の恒常的健康監視」論文
        健康監視システムの実用化。病気の大半が消える
 2045年頃 霧慧トァン、御冷ミァハら誕生
 2049年  芸術作品を対象とする検閲「一般的倫理検証項目40896A」制定。
 2053年頃 御冷ミァハ、日本に引き取られる
        霧慧トァン、過食障害で入院
        御冷ミァハ、過食/拒食
 2058年頃 御冷ミァハ、中学になり手首を切るなど自傷し始める
        霧慧トァン、倫理セッション見学。やり込められる父
        御冷ミァハと霧慧トァン、公園で出会う
        零下堂キアンが合流
 2060年  御冷ミァハ主導の集団自殺未遂

        霧慧トァン、WHO螺線監察官事務局へ。
        28歳時、同・上級監察官(シニア・インスペクター)

 2073年  霧慧トァン、サハラ砂漠からニジェール停戦監視団へ

留意点:
・霧慧トァンは「信頼できない語り手」役である。主な要因は「特定分野以外への関心が薄い」「思い込みが激しい」などに依る。
・御冷ミァハは無論、霧慧ヌァザ、オスカー・シュタウフェンベルクらも部分的に「信頼できない語り手」である。

   本編前史

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