元学生が師匠になった話ー【企画】忘れられない外国人のあのひと」
忘れられない外国人・・・
たくさんいるんですが、今日は自分の日本語教師人生に大きな影響を与えてくれた人のことを書いてみます。
会いにきてくれた元学生
私の日本語教師デビューは台湾でした。数年教えて、日本に帰国。それからは日本で非常勤を掛け持ちしながら生活していました。
日本での非常勤生活3年目・・・。経済的に苦しいし、勤務校の方針に納得がいかずモヤモヤしていた頃。
このまま日本語教師を続けていていいのか?
これが私がやりたかった仕事なのか?
自分は不正に加担しているのではないか?
いっそ、やめてしまおう。
でも、やめて、何ができる?日本語を教える以外何もできないじゃないか・・・。
そんなふうにモヤモヤしてたとき、Facebookメッセジャーに台湾の元学生から連絡がありました。
「お久しぶりです。私はAです。覚えていますか?今度仕事で名古屋に行くことになりました。もし、先生のご都合がよろしければ、お会いできませんか?」
それは台北の大学で1年だけ教えていた学生でした。私が教えたのは初級だけ。ずいぶん日本語が上手になったなと嬉しく思い、さっそく会う約束をしました。
当日、待ち合わせ場所で待っていたら、現れたのはスーツ姿のかっこいいキャリアウーマンでした。
数年前の彼女はノーメイクに髪は一つ結び。服装はTシャツジーンズ、スリッパみたいなサンダルを履いた地味な女子大生・・・。
あまりの変貌に驚く私。
「そのスーツ、かっこいい!それに、日本語もすごく上手になりましたね!」
と言ったら、彼女がこんなことを言ってくれました。
自分は今、○○会社の台湾支社で日本語を使って働いていて、この仕事にとても満足している。今日は会社の研修で名古屋に来た。研修が名古屋と聞いて、すぐに先生を思い出した。ずっとお礼を言いたかったから。
いやいや、お礼だなんて!
私はあなたに初級しか教えてませんよ?その仕事を得たのはあなたの努力のおかげでしょ?
あなたの授業はとても楽しかった。授業が楽しかったから、日本語が面白くなった。それに、いろいろな勉強のやり方を教えてくれたから、ずっと勉強を続けられた。あのとき、他のクラスに入っていたら、日本語の勉強は続けていなかったかもしれない。あなたが私の人生を変えてくれた。
恥ずかしながら、私はこの言葉を聞いて泣いてしまいました。
うれしさと、情けなさと、よくわからない感情が溢れてきて、涙が止まりませんでした。
私の涙にびっくりする彼女。
私は彼女に正直に言いました。
実は今、日本語教師をやめようかと思っている。この仕事は好きだけど、この先このままでいいのかわからない。それなのに、そんなふうに言ってもらえて、うれしくて涙が出てしまった。
すると、彼女が言いました。
「先生、昔あなたに「機會留給準備好的人」の日本語訳を聞いたのを覚えていますか?チャンスは準備ができている人にしか来ないんですよ。」
何てことでしょう。
自分の「学生」だと思っていた「女の子」が突然「師匠」になったのです。
師匠の教え
この対話で、私はたくさんのことを学びました。
彼女を成功へ導いたのは「私が教えた日本語」ではないけど、その後も勉強を続けたことが今につながっている。
教師の影響力は教室の中だけに及ぶものではない。
だから、教室の中のことだけを考えていればいいわけではない。教室外でも、卒業した後も、人は成長し続けていくのだ。
それは私にとって、大きな大きな気づきでした。日本語教師養成講座の教科書に書いてあることかもしれませんが、私は何もわかっていませんでした。
それを彼女のおかげで体得したのです。
そして、私は考えました。
私自身のモヤモヤは「準備」して、「チャンスを掴む」ことでしか解決できないんじゃないだろうか。彼女みたいに、勉強を続ければ、こんなふうにカッコよくなれるかもしれない。
私は彼女のおかげで、そのとき仕事をやめず、自己研鑽に励むようになったのでした。
教師は教える人、学生は教えられる人という一方的な関係ではない。教師と学生はお互い影響しあい、共に学び合うもの。
彼女はそれを教えてくれたのです。
あの日、彼女とお話ししなかったら、私は今頃日本語教師をやめていたか、生活のためだけに、文句を言いながら教える教師になってことでしょう。
私の忘れらない外国人・・・師匠とは今もFacebookでつながっています!
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