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バチェロレッテ&バチェラーを推す理由

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バチェロレッテ&バチェラージャパンを推すわけ

①自分にとって教養番組だから
②フィクションでは勝てないと敗北したから


①自分にとって教養番組だから

私がバチェラージャパンを見始めた理由は、
ある時カフェで、隣に座っていた若い女の子二人組が
なにやら結婚だのなんだのの話から

〜残って欲しかった〜とか、〜ってどうなん、とか
熱く話していて、

しばらくして、これはおそらくバチェラーの話だ!とピンときて、

すごく個性的な女性たちが登場するらしい、ということを知り、
どうやらイケメンハイスペック男子がどうとかではなく
女子のキャラとか誰が落ちるかとかそういうことを楽しむ番組なのだと
知って、どうにも興味が止まらなくなり、視聴に至ったわけでした。

その時までは、自分もああいう番組を、何も知らないのに
ついていけない、と敬遠していました。

そして、視聴を続けていくうちに、

自分はこう感じてる、自分はこうしたい、が多い
自分の感情や顧望が主体の人を見て、
あ〜落ちそうだな、と思うようになりました。
一度受け入れる度量を持てばもっと素敵な女性になれるのに!

と思った時に、
今まで、バチェラーをイメージだけで敬遠してた
自分じゃないかと思ったんです。

みなさんお綺麗なのですが
どんどん回を追うにつれ人間性が浮き彫りになってくる。
女性が絞られてからが本当に面白いといいますが
本当にそうだと思います。

それが、翻って自分にも迫ってくる。
自分の人間性とはどれほどだろうか、と。


レビューを見ますと、
下品な作品、見たくもない、などの方も一定数いますが、
こういう方は、かつての自分のように、
自分の見識を広げようとしない、
固定観念で自分の意思ばかり押し付けてくる、
バチェラーコンテンツ的に言えば、

人間性的には低レベル、と言わざるをえない

としか思えなくなって来ます。


バチェラーくらい楽しめるようになってからが
ある意味スタートだ、とさえ言える部分もあるのではと今は思います。

恋愛的にか

人間的にか

社会動物的にか。。

②フィクションでは勝てないと敗北したから

バチェラーシーズン3が展開的に面白すぎて完全に敗北したんですね。
フィクションでは勝てないと。

当時の終了後の展開を受けての記事からの抜粋↓


〜のゴーゴーが出て来ました。
もう面白すぎて物書きとしてフィクションで勝てる
気がしません。。。

〜の現在#友永構文絶賛流行中。。
なんかね、ずっとめちゃくちゃ考えました。
今回のこのバチェラーシーズン3。
かつてないくらいレビューも見まくって、
twitterもめちゃくちゃ追いかけました。
それで思ったんですよね。
今後生半可なコンテンツじゃもう満足できないなって。。
この体、どうしてくれるんかな、って。
今はただ、そう思ってます。。


実際この時の面白すぎる展開後、これを超える
コンテンツには殆ど出会っていないし、漫画では皆無かもしれません。。

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バチェラーでは短い時間で自分をアピールしないといけなくて、
なのに、短い時間でもちゃんと人間性ってあらわにされてしまって。

一応、結婚が前提の番組だから
すごく突っ込んだ質問をするんですけど、
私たちって、普段、ものすごーく仮面かぶって生きてるなーって思いました。

なぜ婚活で、まず相手のスペックとか外見とかを
前提にしてしまうのかって、ずっと思ってたんですが
本当の自分を省みたり、向き合ったりしなくていいからなのかもしれない。

本当の自分を見つめると、
実は心底家事をしたくないけど無理に家庭的を装う→家事ができないと愛されない、
男性に受け入れられないと自分に価値がないと思っている
若くて自分の言うこと聞いてくれそうな人を希望する→自分自身に深く突っ込んで欲しくない、本当は自分の人生や自分自身に満足してないし自信がない
などに気づいてしまうからかもしれないですね。

外見、収入、容姿、趣味、性格、お互い釣り合ってますね。
じゃあこれで、って、そうできたら楽だな、って。無意識に思っているのかも。


あくまでも、このバチェラー、バチェロレッテに合う人、という主旨だから、
深掘りされて、それで合わなくて落ちても、それは別に不名誉とか人として
劣るとかそういうことでは全くないと思います。
だから、自身と向き合う姿を見て、こちらも自分を省みる、っていう感じがして、
ここまでひりひりと自分自身というものに迫ってくるコンテンツは
他にはあまりないと思います。

なんか根本的なところで

人生を正しく生きようとする、っていうこと、

ちゃんと向き合うってことを

履き違えてて、それが私たちをすごく

幼稚なレベルに縛り付けている、っていう気がします。

本当の話ができないなら、

耳障りの良いこと、都合のいいこと、正論、綺麗事、

それを言うことがいい人間であることだって思い込むなら、

私たちの勉強とか成長ってしてないのと同じことなんじゃないかなって

思いました。


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