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「構造と診断」から
2022年になった。それだけ。
「初等教育から高等教育にいたるまで、日本の教育を規定しているエートスである。飲み込むこと。咀嚼せずに飲み込み、そのままで吐き出すこと。これこそが優秀な生徒の証である。学校の先生は、「2×2は4ですよ」「はい、わかりました」と飲み込ませる。先生の言ったことが「わかるか」「わからないか」が問題になる。「どうしてそうなるの?」「納得いかない」という子供は「劣等生」のレッテルを貼られる。嚥下能力を欠いているからだ。そこでは、必要なのは嚥下能力であり、咀嚼能力ではない。」 『構造と診断 ゼロからの診断学』岩田健太郎 p27 医学書院
「イェス、サー」と同じ。とはいえ、学校教育ということで言えば、複数の同学年齢集団に「同じ」理解度を求める。納得しようが、しまいが「そういうもん」ということで無理くり嚥下させられる。吐き出してしまうのは良くないとなる。
そう言った流れから「オルタナテイブ」な教育が出てくる。イエナとかシュタイナー etc 個々の理解度に合わせるという方法。
一方で、「わかる」というのを未来に期待して、ひとまずは「飲み込ませる」というのも方法ではあるだろう。「あれって、こういうことだったのか」と。
学校教育の全部が全部「こういうことだったのか」と後になって得心するというのは無いだろう。そもそも必要性が後年出てくるわけでもない。だから意識に登ってこないので当然、「こういうことだったのか」とならない。
義務教育の成長過程にフィットした成長速度を持った子供で、「その時に習ったことを理解しきる」ことができれば、咀嚼しつつ嚥下も可能なのかもしれない。
乱暴にいえば、小学生は遊んでればいいという。経験的に、中学生あたりになって兄弟や自分のかつて使っていた小学生の教科書が「簡単」に見えるということがあったが、見方を変えれば、その年齢になれば労せず理解できるのに無理に理解できる年齢になる前にやるから「嫌い」になるだけではないか?「新しいことを知ること」「できるようになる」ことは楽しいのに、わざわざそれを潰しているのかもしれない。
学びという点ではそうでいいとも思う。ただ、「保護」という点では学校は安心だろう。親が働いていれば、その間に子供が「安全に」過ごしている場所が必要となる。
そうすると、一日中学校にいる今の拘束時間はどうかとも思う。長過ぎる。
親も働く時間が長過ぎる。
結局、労働時間の短縮になる。
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