「見ようとしないから」

塾を閉めたらまた「雇われの身」になるのかあ。(塾も雇われの身ではあったか)1人であることの気楽さからは遠ざかることになる。束の間だったけれど。応募したうちの一つから内定が出て今月末に契約の予定だが、もう一つのところからはなんとも音沙汰がない。ここはここで面白そうかなと思っているがどうだろう?

どこに行こうが労働時間の短縮は目指したいなと思う。8時間は長すぎる。2時間短くなれば、3時間短くなれば、半分になれば、全然世界が違って見えてくるだろう。さらにベーシックインカムがあれば。ベーシックインカムはいわば、みかんやキノコだと思えばいい。森の中で暮らすと食料は「あそこらへんにいつもある」という見通しがあれば安心できる。それと同じだ。貨幣経済の森の中で暮らしているなら毎月7万あると見通しがあれば安心できる。つまり「安全基地」だ。発達段階で母親などの特定の対象に保護されて「安心」できる場所が確保できることが重要で、その確保ができて始めて外界への冒険ができる。いざとなったらいつでも「安全基地」に帰れる。その担保があってこそのアドベンチャーだ。森に豊富な食料と安全な住処があるからこその遊びが始まり狩猟がある。貨幣経済の森ではベーシックインカムが安全基地、木の実やキノコの役割になる。そういう確かさがあってこその冒険で、心の安定をもたらす。情緒だよ。(岡潔風)

「まるで山に住んでいる人たちにとっての草木のように、都市のゴミを自然物のように捉えて家を作っている。それはある意味、東京にとっての自然素材の家ということになるかもしれない。一番手に入りやすい材料で家を作る。これは、非常に効率的なやり方に見える。しかし、僕たちの現在の状況では、家をゴミから作るということはかなり特異なことのように感じてしまう。しかも、不思議なことにゴミは何も古いものだけではないのだ。」               『TOKYO 0円ハウス 0円生活』坂口恭平 P59   河出文庫

ゴミ。自分にとっては意味が無くなってしまったものも、誰かにとっては意味が有るものになる。しかし、堅牢な高層ビルや鉄筋の家はどうも固すぎる。どうしようもなく「勝つ建築」(負ける建築風)になる。分解はただ壊すになって、転用しづらいものになる。加工し直して建材に再びなるのかもしれないが、手間がかかる。コストもかかる。今の建築は建てたら建てっぱなしなんだな。東京は本当、あとは廃墟になるのがオチだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?