以前、葉山で住んでいたおうちの入札に参加します。そこで気付いた、芸術家として生きるために、切実に必要な場。
昔住んでいた葉山のおうちが競売に出ることになり、松島家として入札に参加することを決めました。転売目的の業者の方がたくさん参加されるはずなので、実際に落札することが簡単でないことは、調べれば調べるほどよくわかってきたのですが、このプロセスの中で、僕が向き合わざるを得なかった、切実な問いがありました。
芸術家として生きることを決めた僕にとって、なぜ、家を持つ必要があるのだろうか。それはどんな場であるべきなのだろうか。
という問いでした。これは、いつも僕の相談に乗ってくださる方に言われたことがきっかけでした。
「葉山の家を買うという決断は、もちろん息子さんにとってとか、奥さんにとって幸せに繋がるからというのがあると思う。でも、松島さんには、松島さんの理由で、『自分にとって』どうしても必要だから、葉山の家を買うんだ、という理由が必要だと思います」
息子の笑顔、妻の笑顔、家族の笑顔が大前提です。でも、それだけで、未来のこともわからないのに、長期のローンと、両親友人知人からお金を借り、家を購入するという決断をして本当に良いのか。数週間、お金の工面を基盤としたありとあらゆる準備をしながら、ずっと考え続けていました。
まず気付いたのは、僕にとって、芸術家として生きることを宣言し、作品のコアのコアが生まれたのは、すべて「この葉山のおうち」だったことです。葉山という土地の特殊性もありますが、そこでの「生まれてしまったプロセス」を振り返ると、次のような特徴があることに気づきました。
それは、「no ajenda で人が集まりたくなってしまう場」であり、「目的と意図のない、偶然の出会いが起きてしまう場」であり、「数日間など長時間滞在してしまう場」であったことです。
僕は基本的に、1時間とか2時間、アジェンダをもって話し合う時間の中から、本質的に新しいものなど生まれようがないのではと思っています。break the bias といった考え方をされる方もいますが、僕の現在の能力では、アジェンダをもっている時点で、そこをまったく超えてしまうようなものは生まれにくい。少なくとも、アジェンダから始まった短時間の場が、「言語を超えたもの」を生み出すことは、構造的に、非常に困難です。
本当に新しいものが生まれてしまうのって、ふとしかことでぜんぜん違う専門性のもっているヒトとの会話からふわっと生まれてきたり。会話ですらなく、手を動かしている時に、「えっ、これなんか、わかんないけどよくない?」と言語を超えて生まれてきたり、思考しきった後に、海に入ってゆったりしている時に湧いてきたり、そんな瞬間なのではないでしょうか。
そう思った時に、やっぱり、「目的がなく、ヒトが集いたくなり、長時間滞在してしまいたくなる場所」が必要であることに気が付きます。
実際問題、僕が現在、東京に住みながら色々な人と作っている作品のほとんどすべては、その時にすでに議論がなされていたものです。イメージを具体的に実装したり、改善したりするのには、アジェンダを持った時間が有益ですが、イメージ自体が湧き上がってくるような瞬間は、また違ったものです。
現在はコロナウイルスの影響で、東京在住の人は外に出にくいこともありますが、この流れはコロナウイルスの影響が落ち着いても変わらないと思います。少なくとも、電車で細々移動したり、打ち合わせをオフラインベースでするという習慣は少なくなっていくでしょう。
となったときに、「どうして、移動時間をかけて、その場所にいくのか?」という問いに答える必然性が高まります。結果、葉山のおうちは、もう、すべてが最高でした。
制作は、基本的に合宿形式で行っていましたが、みんな、葉山にむしろ来たいといってくれる。夕日を見たいし、砂浜を歩きたいし、波の流れをボーッと眺めたいし、海に入りたい。そして、実際に手を動かし、議論できる空間がある。もう、すべてが揃っていたのです。
と考えた時に、葉山のおうちは、個人として家族が幸せに暮らすための「暮らしの空間」という意味もありつつ、芸術家として生きていく上での「新しい"作品"と出会い続けるための空間」であることに気が付きました。だから、家族にとってはもちろん、でも僕個人にとっても、生きたい人生を生きるために、切実に、本当に、切実に、葉山のおうちが必要だとという結論に至ったのです。
でも現実は厳しく。入札に最低限+αで必要な資金は集まる目処がどうにかたちそうなものの、今の御時世、みな家を整えたくて、お家がたくさん売れるので、他の競売物件を見ると、法人が競売にたくさん参加しています。客観的に見て、正直可能性は数 % 位しかない、奇跡が起きないと落札はできないという現実を突き付けられています。
それでも入札は来週頭というスケジュールの中、最後まで、諦めずに、できることをすべてやりきって、あとは流れに身を任せたいと思います。先日葉山の神社でも、「家に住ませて下さい」とは伝えずに、「お導き下さい」とだけお祈りしてきました。
どういう結論になろうと、きっと、何かしらの流れには繋がっていくことを願いつつ。入札までの時間を過ごしていきます。落札のためにできること、アイディア、有る方は、ぜひぜひ下さい。もう、なんでも。そして、意味があるかなんてわからないけれど、これを読んだ方は、一瞬だけ目をつぶって、「松島家を、お導き下さい」と、祈りを届けてくださったら本当に嬉しいです。
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