屋久島で訪れた、万物は繋がろうとする性質を備えているのかもしれない、という直感。
稀に世界の見え方が一変してしまう、そんな瞬間に出会うことがある。
年に一度あるかないかの幸運な出来事だけれど、屋久島に滞在するとなぜか毎回その瞬間が訪れる。
前回の滞在では、仕事をしなさいという声が聞こえ、僕自身が社会で果たす役割の認知が変わった。その前の滞在では、葉山と屋久島はつながっているという直感と共に作品 “connecting”が生まれた。
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今回訪れたのは、万物は繋がろうとする性質を、本来的に備えているのかもしれないという直感だった。
きっかけは、connecting という作品を介した実験だった。この作品は、大地と木々と森のつながりを、光で可視化するシンプルな作品だ。離れた2点が木々や植物や大地を通し、水や有機物また根や菌糸を通し繋がっていたら光る。
この作品を通し、屋久島のさまざまな地点でのつながりを探索した。最長70m程度しか確認できなかったけれど、苔や菌を経由してか、どこもかしこもつながっていた。屋久島では、とかく万物がつながっていたのだ。
これは予想通りの結果だった。唯一つながっていないとすると、人の手が入った人工物だと考えていた。具体的には、道路だ。アスファルトで敷き詰められた道路は、土地の水と生命の流れを断絶させてしまう。だから、つながりは検知されないだろうと考えていた。
そこで、まず森の中の朽ちた道路で実験を行った。朽ちた道路は、至るところがヒビ割れしていたし、コケや植物が道路を覆っていた。実験をすると、やはり繋がっていた。ヒビ割れを通した水道や、苔などを通してつながっているのだろうと考えられた。
次に、交通量が一定程度ある、大きなアスファルトの道路で実験を行なった。さすがにここはつながらないと思っていた。
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結果は、予想に反して繋がっていた。
はじめ、まったく理解できなかった。神奈川で実験した時は、アスファルトの上に敷き詰められた土の上でも繋がらなかったのに、なぜ屋久島では道路を挟んでもつながってしまうのか。
もしかすると、雨が降ったからと思った。しかし違いそうだった。そこで、屋久島で深く水の流れを探求している方と、その現象について対話をした。
すると、アスファルトの小さい溝の中にも、実は微生物がたくさんいることを教えてもらった。これらの微生物を通して繋がっているのかもしれない、と教えてもらった。
本当に驚いた。人が自然界のつながりを断絶してしまったと思える場所でも、微生物たちはつながりを生み出すらしいのだ。
ここで、「ばちっ」と、全身を電気が走った感覚に襲われた。
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あっ!と、直感が訪れた。
自然は人の認識できないところから人工物の世界に入り込んでくる。家の中に虫が入り込み、庭に植物が繁茂するように、苔・微生物・動植物は、ネットワークの拡張を試みる。
繋がろうとする性質について、冷静に考えてみる。
まず、この宇宙を構成する銀河や星々は、物質同士が引き合うことから始まった。ニュートンの発見した万有引力の法則だ。質量を持つものは、すべて引き合うのだ。
次に、この地球に住まう、微生物や動植物たちについて。彼らは、自身の生命や子孫を未来に繋げるため、外に広がろうとする。植物の根っこ・種・菌糸も外に広がろうとするし、生き物も何とか生殖活動を試みる。外に広がり、他の存在と繋がろうとする。
また、人間自身について。人間は孤独を恐れる。だから人と繋がろうとする。人類の歴史も見ても、小さい集落から始まり、地域、国と来て、さらにインターネットやSNSの登場で、人と人の繋がりは一貫して広がり続けている。
つまり、物理学的な秩序で構成される星や銀河の形成においても、自然界に存在する動植物の生存と繁栄においても、人間の孤独の奥にある人との繋がりの欲求においても、すべて引き合おうとしていると言えないのだろうか。言い換えると、これら万物は、繋がろうとする性質を、本来的に備えているのかもしれない。
もちろん、逆に何かと何かと引き離そうとする性質もある。でも明らかに、宇宙と地球の歴史をマクロに見ると、引き離す力学よりも引き合う(繋がり合う)力学の方が強く、この繋がりは歴史上深まる方向にしか進んでいない気がしてくる。
つまり、万物は繋がっているだけでなく、繋がろうとする特質をも併せ持つのではないだろうか。
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こう考えてみると、人と人、人と自然の分断が社会問題化している現代においては、人がすべきことは、この万物の繋がろうとする特質を活かすことなのかもしれない。
時にそれは、過度な繋がりを生み、繋がり疲れを起こしてしまう。でもそれは繋がりたくないわけではない。本当は繋がりたいのに、繋がり方が未熟なのだ。
繋がりを断絶している領域を発見し、万物の繋がろうとする特質を生かしてあげる。そうすれば、自然と存在同士の関係は深まり、万物のつながりはより深まっていくのかもしれない。そんな、万物が繋がろうとする性質について気付かされた、屋久島での時間だった。
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