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あれから9年、僕の今。つながりと孤独感の狭間で。

今日は、3月11日。明日は、3月12日。この2日間には、身体が反応してしまう。単なる日付に意味を感じてしまうのは、それに対する体験と感情が身体に深く染み込んでいるからだろうか。

世の中は、コロナや、これからの不況議論真っ只中だけれども、僕の心は、時間軸のある空間をふわふわ浮いている。息子が生まれて以来、ほとんど現地入りしていないけれども、やっぱり、身体のあちこちが、ざわざわする。

2011年3月11日。震災が起きた日。そしてその翌日、妻と出会った。そして2015年3月12日妻と結婚し、晴くんは、2018年の3月11日と12日の間に、妻のお腹の中に来てくれた。あまりにも、いろんなことがこの日を巡って、僕の人生には起きた。だから、この日には、特別な何かを感じてしまう。

今の僕は、興奮と不安、安心と恐れの間を常に揺れ動き、小さなことで一喜一憂している。昨日も、もうそろそろ作品を愛しすぎないで距離を置くフェーズなんじゃない、と言われて、なぜか分からないけれど、とても凹んでしまった。

この一年間は、アーティストとして本格的に活動を開始することになった年だった。諸々外に見えるのは2020年になるので、それまでの準備期間。

当然、新しいことに挑戦するとは、甘くない。信じられないくらいにお金はなくなったし、周りから、お金どうしてるの?と聞かれるたびに、挙動不審になり、精一杯言い訳を繰り返した一年だったともいえる。

そんな中、2つの異なる感情が溢れ出た年だった。

しんどいとき、追い詰められた時、必ず誰かが助けてくれた。もう無理かも、と思ったときにも、本当にたくさんの人が、手を差し伸べてくれた。実績などない僕を信頼して与えてくれる機会に、全身全霊で挑み続けてきた。ほふく前進のように、一歩一歩、ひとつひとつ、目の前の課題をただ乗り越え続けてきた。

息子の成長、妻との3人での時間も、言葉にできない時間だった。人に助けられ、人のつながりの中で生きているし、活かされていることを強く実感した。そこには、とってもとってもたくさんの感謝がある。そのお蔭で、息子の晴くんは、本当に晴れやかに、笑顔いっぱい、愛情をもらいながら育ってくれている。

でも、もうひとつある。それは、1つ目と、大きく矛盾して聞こえるのだけれども、孤独感、だ。相談できる人は増えていくし、力になってくれる人も増えていくけれども、僕の真ん中には、最後の最後の答えは、自分の中にしかない、という感覚も強くなってきた。強烈な孤独感というか、寂しさというか、恐怖ともいえるような感情が、自分の中に存在していた。

これからも、繋がりに感謝する瞬間もあれば、孤独感に苛まれる瞬間もありながら、いや常にその双方が自分の中にあることを受け入れながら、一歩ずつ進んでいくしかないのだと思う。

重要な意思決定のときに常に相談しているコーチから、「まつしまさん、今年は本当に大変ですね。凄い批判されることになると思います。」と言われた。いつか、その批判を喜べる自分になれればいいけれど、今のところはそれにびびりながら、凹みながら、一喜一憂しながら生きている、としかいいようがない。

そんな中でも、昨日も、今日も、明日も、僕はただ生きていくしかないのだろう。これが、あれから、9年の、僕の今。

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