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虚無、良し。虚無と友だちになる。

ここ1週間ほど、ずっと空っぽモードだ。

空虚。空っぽ。虚無。

そんな言葉で表現されるような状態。言葉だけをみると、とてもネガティブに聞こえるし、大丈夫か、と思われる。けれど、ここ数年ほど、何度もこういう状態になった。

虚無な状態をいくつか言葉にして表現してみると、次のような状態である。「未来のことを想像できない。」「頭で何かを考えることができない。」「何か戦略、方向性、そういったことを言葉で議論することが出来ない。」。

僕たちのアート制作チームではよく、この「虚無」という言葉が登場する。今回も僕だけではなく、もうひとりがまったく異なる文脈で、「虚無な感じ。何も言葉にできない。」状態になっていた。

ダイアログを経て、最終的には、いかにチームにとって「虚無が重要か」、という結論になった。一言でいうと、「虚無、良し。」だ。一般的には、意味や目的や貢献といったもので、この虚無をなくそうとする力学が働く。しかし、この虚無、実は創造的な営みをする上ではかなり本質的だよね、という話になったのだ。

人は、虚無な状態から逃れようとする。虚無な状態は既に書いたように、意味や目的、貢献を感じにくい。その上、虚無な状態では何も議論できないし、意思決定も出来ない。計画も、締切も、スケジュールも、意思決定事項もある中で、どう日々を過ごしていいか分からなくなってしまう。

しかし、理由はわからないが、この虚無な状態でいかにステイ出来るか、が重要な気がするのだ。虚無とともにいる、虚無と生きている最中には、予期せぬ出会いが多いし、意図せず、自然と求めていた答えに出くわすことが多い。

虚無を避けるのではなく、虚無とともに生きる。虚無もひとつの人格として出てきてくれたことを歓迎する。そういう風になれたらいいのかもしれない。

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芸術のげの字も知らなかった素人が、芸術家として生きることを決めてから過ごす日々。詩を書いたり、創作プロセスについての気付きを書いたり、生々…

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