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コロナウイルスは、僕の時間を早めてくれた存在なのかもしれない。

日本で、COVID 19 の影響が大きくなり始めたのが3月末。あれからはや4ヶ月ちょっと。はじめは本当に衝撃だった。中国からセンサーが仕入れられなくなったことから始まり、まず電子部品の調達が困難になった。

その上で、僕自身は影響を軽く考えていたが、ニューヨークやヨーロッパでの感染が爆発的に広がる中、1年ほどは元々やりたかった芸術表現ができなくなったことに発狂した。

ウィズコロナの時代。今しかできないこと、僕ができることは何だろう。僕は、詩を書くところから始めたい。

悶絶しました。1年半、ずっと思い描き、恋い焦がれていた景色が少し見え始めたと思った瞬間、また遠ざかった感覚です。大好きだった人にその気にされていて、告白してみたら、やっぱりあなたは嫌だわ、と断られた感じ、と言ったら伝わるでしょうか。

とても悲しかったし、凹みました。妻からは、身体中の筋肉が弛緩してるね、と言われ、コーチからは、目標を失ってしまった感じですね、と言われました。

この4月2日に書いたこの記事を読んで驚いた。こんな表現を見つけた。

いまだからこそ、
生まれてしまうもの。

いまだからこそ、
表現できるもの。

それを目撃したいし、触れたいし、
この世界に届けたい。

物理空間を共有できないという制約条件、それをどう乗り越えて、新しい作りたい世界観を表現していくか、この問いと向き合い続けた4ヶ月間でした。それに対して、pray with kodou という体験が生まれたところから始まり。web application ももうすぐリリースする。

その上で、6月、7月は徹底的にプランニングをした時間だった。kodou のプロダクト化を進めているある企業とのコミュニケーションデバイスとしてのプロダクト構想、昔僕がいた離島における earthsencing というすべてのいのちを光にする構想、来年の国内大規模芸術祭に対する 新しい芸術表現の構想。kodou という芸術表現として、向こう半年から1年間はベースラインとしてやることはほぼ明確に決まっている。

これらはすべて3月までにも議論していたことだけれど、「いつかやりたいよね。」「3年後位にやりたいよね。」、そんな風に、いつかの夢として考えていたことだった。それらがすべて現実になるイメージが今となってはありありと浮かぶ。

そのプロセスでは、徹底的に議論をしたし、テック面での具体的な実装スケジュールにも落としながら研ぎ澄ませた。

一瞬、話題を変える。ここ1〜2ヶ月、芸術表現のこと、仕事のこと、家族のこと、たくさんの葛藤があり、その上で、大きな意思決定をした。今までなら、「絶対に、NO」といっていた領域に踏み出すことを決めた。

そのプロセスでは、たくさんの人に相談したのだけれども、僕のコーチがぽろっと言った一言が、すべての背景にある。

「多分、コロナウイルスは、すべての時間を早めたんだと思います。」

深く、納得した。なぜこのタイミングでこの意思決定?と悩んだのだけれども、すべて、この一言で腹落ちしてしまった。いつかやりたかったこと、いつからやらなければいけなかったこと、「その時間が早まってしまった。」そう考えると、自分に起きていることがすべて説明できてしまった。

だから、悩む必要なんてないんだ。ただ、その実現に向けて、全身全霊をかけて、やりたいこと、やるべきことに、向かえばいい。そう自分を納得させることができた。

僕にとってのコロナウイルスとは、たくさんのことがあったけれど、自分の時間を早めてくれた、そういう存在なのかもしれない。

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