罪悪感と快楽と

私の母は教育者だった。そして敬虔なクリスチャンだった。つまり、性に真逆の存在だったのだ。
従って、私は神様からの預かりものと言われていた。一時的にお母さんがお預かりしているの、と。子供心にこの言葉に私は傷ついた。でも傷ついている事は表に出さず、笑っていた。
そして、私には2つ下の妹がいて、母はそれ以外に2人の子を預かっていた。私は名前を呼ばれるのではなく、"お姉ちゃん"という役回りになっていた。お姉ちゃんは、頼り甲斐があって、お母さんの右腕的存在で、素直で従順でなければならなかった。
母は、そりゃあもう厳しく、日々怒られないように顔色を見たし、必死にいい子でいた。でも、それが私だと認識した母は当然の如く褒めるということはあまりなかったと記憶している。
母も当時の自分について、厳しかったと自己評価しているので間違いない事実だ。
しかし、母の事が誰よりも大好きだった。これは紛れも無い事実だ。だからこそ、母の厳しさにも食らいついていった。
毎日カレンダーを見て、仏滅だから怒られたんだ、大安だから怒られないんだ…なぁんて事も思っていた(笑)
そんな母の前において、私のオンナの部分は間違いなく罪だったはずだ。しかし、小学校低学年で私は間違いなくオンナの喜びを知ってしまっていたのだった。

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