鷽ノ口円形分水
さくほ通信club
大人の社会科見学
佐久穂町にある鷽ノ口円形分水は、激しい水争いの歴史とそこから生まれた珍しい水利慣行を背景に持つ円形分水工です。
江戸時代に、大岳川から取水し、旧中畑村他5ヵ村と旧上村の水田を潤す用水が開削されました。当時から水源のある旧川上村と取水口のある旧中畑村では、水争いが絶えず持ち上がっていました。そこで「藤蔓(ふじつる)分水」と呼ばれる水利慣行が生まれました。
「藤蔓分水」とは、毎年八十八夜(現在の5月初旬ごろ)に、厳重に保管された長短2本の藤蔓の封印を解き、各々の長さの尺棒を作り、用水路途中にある滝壺に、土のうを用いて、尺棒の長さに合わせた水口を作り用水を分配したもので、藤蔓を用いたことから、このように呼ばれていました。この藤蔓の長さを測ることは固く禁じられており、尺棒は即時焼却されていました。この「藤蔓分水」は、昭和28年に鷽ノ口円形分水が完成するまで長く続けられていました。
鷽ノ口円形分水は、直径6m、深さ1・2mの鉄筋コンクリート造りで、水田の面積に応じて決められた側壁の穴の数により、上村、佐口、小山という3用水に水を分けています。
古い慣わしを今に伝えながら、鷽ノ口円形分水は、今日も粛々と用水を分け地域の農業を支えています。
(佐久地方事務所農地整備課 毛利文陽)
「不公平なく見えるように分水すること」が争いを避けるために大切な要素なのですね。詰まってしまうと平等性にかけますから、つまらないように除塵機が付いていて、バーのようなスクリーンにゴミを溜めて掻き出す仕組みになっているようです。
私達が今食べている農作物は、水争いの歴史の上に成り立っているものなのだと知り、改めて農作物の有り難み、食べることができることに感謝して生きていきたいなと思いました。
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