「差別じゃない区別だ」

専門の学生のころに先生が授業中にそう言ってた。その内容は全く覚えていないんだけど、その言葉だけは鮮明に覚えている。

「まつらさんだけずるい」「依怙贔屓だ」という陰口はよくある話で、そりゃ10代のころはそんなことを言われていたのかとショックを受けることもあったが、いつのまにかそうは思わなくなった。むしろ自信に繋がってる気もする。
基本へらへらしている私ですが、残念ながら便宜上のへらへらだ。だって全員に対してちゃんとできないもの。だから本当に大事にしたい人は常に少数。嘘っぽく聞こえるけど誠心誠意、掛け値なしの愛情をもって接している。そもそも愛情の容量が少ないので、そんなにたくさんの人に振りまくとだいぶ薄味になってしまう。薄味の愛情なんて、私は覚えていられない。あるんだかないんだかわからないものより、少数に粘土の高い愛情をドロドロと流し込んでいる。

注いだ愛情分の愛情が返ってくるとは思っていない。そうそう、若い時はそれで恋人を追い詰めたこともあった。わたしばっかり好きで理不尽だ!と喚いたこともありましたよ。若気の至りだ、許せ。
返してくれることを望みはしない。返ってきたらラッキーだねって喜べばいい。そう言っているけど、感情に支配されている若輩者なので、MPが底をつくと、私ばっかりっていうあいつが顔を出してしまう。顔を出してしまうってことは、一生その感情も持って生きていくしかないんだろうな。仲良くやっていけるだろうか。どんなに愛しても仕方がないものもあるのだという、諦めが大前提にあるもんだから、きっと本当はまだ納得できていない。飲み込むタイミングを逃したホルモンみたいにくちゃくちゃと奥歯ですりつぶし続けて、まるのみできるタイミングを探している。

「まつらさんだけずるい」はわたしが愛情をかけた相手がわたしに優しくしたとき、わたしを優先したとき、自分とのその差を感じた不満が声になるのだ。なかなか快感である。だってわたしはあなたよりあの人を愛しているもの。わたしとあなたは違うのよって、明確な区別はやっぱり快感だ。
それに気をよくしてわたしは今日も愛をドパドパと注ぐのだ。

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