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完璧主義なわたしの失敗談#10失敗を公にするのは良いことしかない

どもどもORIGIN整体です。

最近よく思うのですがnoteに文章を書くようになって変わったことが3つ

1.失敗に対する恐怖が格段に減った

2.気持ちに切り替えが早くなった

3.共感力が高まった?

1.に関してはここで失敗に関する文章を書くようになったことで失敗をしても「またネタが増えた!」「どう挽回しようか?」という思考に切り替わったからだと思います。失敗ばかり気になる人にはこういう失敗を公にする場ってめちゃくちゃ大事だと思います。

2.もまた文章を書くことによって自分の中で失敗に対する切り返しのパターンがストックされてきたので、なにか失敗があったとしても「あの時のあのパターンで切り替えられる」というマインドセットに変わったのだと思います。

3.に関しては共感力って比べようがないので?をつけています。ただ人の話を聞いている時にリアクションは大きいほうが嬉しいだろうなとか、目を見たほうがしっかり聞いている感じするだろうなと思う機会が増えたのです。以前も気づいてはいたのですが、面倒だし自分を偽っているみたいで嫌だからと理由をつけてはサボっていました。じゃあ自分が目も合わせてもらえず、リアクションも薄い人に話しを聞いて欲しいか?と考えた時にやはりそうは思えなかった。ありのままの自分で・・・なんて格好つけずシンプルに人が喜ぶことがしたいと思えるようになったのは大きな成長だと思います。

今でこそ失敗談を書いているのですが、半年前までは整体師らしい情報を書こうと思っていました。健康を軸にさまざまな情報をあつめ、なるべくエビデンスが高いものを情報として発信すれば喜ばれるだろうと思っていました。ただ振り返ってみると世の中の整体師のほとんどが似たような情報を発信していて、これって本当に自分が発信する意味ってあるのかな?と疑問が湧きました。

自分自身で試した知識もありますが、効果を感じられたものばかりではありません。誰かから聞いた情報を伝聞するだけでなにも成長につながらないと思ったのです。自分にしかないものってなんだろうと考えた時に、職を転々としている数だけでいえば平均よりも多いかもなと思ったんです。

ちょうど時を同じくしてキングコング西野さんのVoicyを聞いていると「今の時代成功にはほとんど意味がなく失敗にこそ価値がある」と聞こえてきました。あくまで自分の中でその言葉を噛み砕いた結果ですが、A地点からB地点への道のりをナビで調べれば最短ルートがわかるしこれに沿っていけば間違うことはない。だけど脇道にそれれば素敵なお店を見つけるかもしれないし、旧友とすれちがってふいに喫茶店に入って話をしようなんてことになるかもしれない。だからこそ正解の道を進むだけじゃなく、あえて道を逸れてみる、外れてみることでわかったことに意味があるんだと思います。だれでも正解にアクセスできる時代でA地点からB地点に行くにはこの道ですと発信するよりも、A地点からB地点の間にはこんなにも素敵なものがありますとかここを間違えるととんでもない目にあったと言える人のほうが価値があると思います。僕はそういう風にとらえました。

今まで失敗に価値があるなんて考え方をしたことがなかったので衝撃的でした。その日からいつか公開しようと自分が書き溜めていた30本くらいの記事は全部取り下げて、失敗についての記事を書き始めました。これについても本当は記事をためてぼちぼち公開しようと思っていたのですが、タグ付けの練習をしているうちに公開してしまったのでその日から書かざる負えなくなった次第です。ただ最初に書いたようにこの文章を書き始めて、さらに公開したことに関しては良かったことしかなく結果オーライだと思っています。

失敗のクセ、自分の捉え方を知ると気持ちがグンと安定しますし、誰かの目に触れるかもと思うことで文章を読み返したりもするのでより思考が深くなります。これからも自分の過去の失敗と向き合い、ひとつひとつ昇華していければと思います。

今日の処方箋

失敗を公にするのは良いことしかない