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統一教会との関係

統一教会との関係について聞かれることがありますが、私は一切関係を持っておりません。

  • 当記事の作成・編集は松浦たけあき政策会議室が担当しております。

1.自民党と宗教

世間では自民党と統一教会の関係について騒ぎになりました。霊感商法など違法行為を行っていた集団と関係していたことは明らかに問題であり、統一教会と関係のあった議員には大いに反省していただきたいところです。

一方で、一部で言われているような「自民党は統一教会にコントロールされている」という意見についてですが、その可能性はないでしょう。一般にはあまり知られていませんが、

  • 政治家(特に自民党地方議員)が10~20の宗教団体とかかわりを持つことは珍しくない

  • 統一教会より影響力の強い宗教団体は10~20存在

という状況がまかり通っているからです。

これも経験論ですが、節操のない議員ほど多くの宗教に関与します。逆に言えば、そういう議員ほど特定宗教の影響が色濃く出ることもありません。議員は宗教団体にはよく挨拶に行きますが、何の宗教だかわかっていない議員も多く、宗教団体が政治をコントロールする状況とは程遠いという印象です。この傾向は、良くも悪くも実利的な政党である自民党によくみられると思われます。

2.統一教会と私

統一教会の特徴としては、

  • ①反共産主義を強く訴えているため、右派系議員と親和性が高い

  • ②資金力と国際ネットワークがある(それでも影響力の強い宗教団体とまでは言えない)

  • ③霊感商法など違法行為を行った

などがあると思います。言論空間で左派が強かった時代(朝日岩波体制)、統一教会はその資金力で(②)右派に言論の場を提供していた(①)とされています。

私に対しても支援を申し出てきた統一教会系の方がいらっしゃいました。しかし、すべてお断りしております。私にとって保守とは日本を守ること。その「日本」とは何かと聞かれれば、私は必ず「神話」と「言葉」と答えています。その私が韓国系亜流キリスト教(韓国はアダムの国で、日本は不浄のイブの国でしたっけ?)を受け入れるはずもなく、反共だろうが何だろうが協力する気にはなれませんでした。

3.左派の矛盾

統一教会問題について、左派勢力はここぞとばかりに批判を行いました。その印象操作が行き過ぎて、「宗教は気持ち悪い(だから自民党も気持ち悪い」といった言説も見られますが、私はこちらの方が問題だと思います。なぜなら、これは国際的にもヘイトスピーチに該当するからです。

ヘイトスピーチ問題の多くは「人種」、それに次ぐのが「宗教」であり、昨今話題となっている「セクシャリティ」にも匹敵するテーマとなっています。

宗教を気持ち悪いという人たちも、その教義については知らず、「宗教だから駄目だ」と批判する場合がほとんどです。これを言うと「政教分離も知らないのか」と言われたりしますが、政教分離とはSeparation of Church and Stateの訳語であり、政府と教会の分離であって、政治と宗教の分離ではありません。

普段「ヘイトスピーチ反対」などと言っておきながら、自分の興味のないことについては平気でヘイトスピーチを繰り返す。ワンイシューにしか興味のない活動家がよくはまる罠といえます。「宗教やってる人にはかかわりたくない」というのは良くて、「黒人にはかかわりたくない」「ゲイにはかかわりたくない」と言うのがダメだというのは、矛盾しているのではないでしょうか。

私は統一教会を擁護するつもりは一切ありませんし、個人的には消滅してほしいと思っています。しかし、それは「宗教だから」という理由ではありません。統一教会の最大の問題は、霊感商法などの悪事を働いていたことでしょう。これは宗教問題ではなく消費者問題です。「宗教だから駄目」という論調は、この部分をかえって見えにくくしており、問題解決を遅らせているのではないかと思う次第です。

4.共産主義は宗教と紙一重

私がもっとも危険だと思うのは、実質的には宗教的な色彩を帯びているにも関わらず、宗教ではないと思い込んでいる人たちです。昨今よく耳にする「価値観をアップデートしなければならない」などはこの典型でしょう。

私から見れば、共産主義も相当に宗教的です。科学哲学の大家であるカール・ポパーはマルクス主義を「疑似科学」と喝破しましたが、非科学的な点は新興宗教も共産主義もさほど変わりません。また、中国の文化大革命では、各地に毛沢東の銅像が建てられ、皆が毛沢東語録を持ち、反共産党思想の者が徹底的につるし上げられました。これが宗教以外の何だというのでしょうか。

北朝鮮など宗教を禁止している国をイメージしてもわかると思いますが、宗教的なものは消えませんし、それどころか、もっと劣悪な宗教となって国民を支配しているように思われます。

なお、日本の左派政党には、かつて暴力革命を志向していた政党や、拉致問題の存在を否定して北朝鮮と関係を持っていた政党がございます。これを言うと、

「今は暴力革命という方針をとっていない!」
「当時はそういう問題があると知らなかったんだから仕方がない!」

といった反論がなされますが、統一教会が「今は教団名も変えて別のものになった」と言ったり、統一教会と関係していた議員が「霊感商法などの問題を知らなかった」と言ったりした場合、納得されるんでしょうか。私からすれば、どちらも同じであり、どちらも大いに反省すべき話だと思います。

5.非宗教から生じた宗教は狂気を極める

私は日本の源流が「神話」と「言葉」にあると言いました。また、私は皇室に対して崇敬の念を抱いています。これは宗教的ともいえるでしょう。私に限らず、ほとんどの人は自覚していないだけであって、思想には必ず宗教的な部分があります(それゆえ、政治には価値観論争が絶えません)。私はこのことを認めているつもりです。

真に多様性が認められる社会を実現しようとするならば、まずは自身の信念(=ある種の宗教性)について自覚することが大切です。思想を自覚しない者が「お前はおかしい」と、まるで自らの正義を神の法であるかのように振りかざし、すべてを自分の物差しで測り、「価値観をアップデートしなければならない」などと言って思想・信条の自由にまで干渉しようとします。

特定の解釈が入った人権思想など(教義)に基づき、お前はそれに従うのかと迫り(異端審問)、従わない者は徹底的に吊るし上げ(魔女狩り)、自身と異なる考え方の集団は悪だからどんなに罵倒してもいいと、汚い言葉で叩く(宗教戦争)。多様性が聞いて呆れます。

「宗教は危険だ」と思い込んでいる人こそ、実際には危険なのかもしれません。最後に、そのことを指摘したヴィトゲンシュタインの言葉を紹介したいと思います。

Religion as madness is a madness springing from irreligiousness.
(非宗教から生じた宗教は狂気を極める)

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