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連戦連敗

こんにちは、Freelance Filmmakerの松浦竜介(りょうすけ)です。ウェブCMなどの映像コンテンツを制作しています。発信をしていくにあたって、僕自身の生い立ちから現在に至るまでの経歴を記事にしています。関心を持っていただいた方、一緒にお仕事をされたい方、なんだかよくわからないけど僕に絡んでみたい方、僕はこんな人間です。ぜひご覧ください。
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ここで、勝負する。

今回の記事は、クリエイターというより国際協力の活動をこれから始める若者の目線から。2013年4月、僕は神戸大学の大学院に入学し、途上国の教育開発の道へと進んだ。書きながら思い出したが、実は大学卒業時に国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊にも応募していた。その時は不採用で、理由は技術力不足といった内容だったと思う。何かをやるにしても自分には「これができる」という武器がなかった。大学院でその武器を磨こうと考えた。僕は現場に近いところで何かしらの実務を行う専門家になりたくて、卒業後には開発コンサルかUNICEFなどの国際機関で働こうとふわっとイメージして入学した。

現在別の分野でフリーランスになって思うのは、実績をもとに自分には何ができるのか示しておくことは、自ら仕事をつくっていくうえで必要不可欠だということ。学歴や資格をもっていることと自ら仕事をつくれることとは違う。実際、大学院を卒業しても働き先のないケースはたくさんある。僕の研究室は実務経験を通じた学びに特化していた。在学しながら実績をつくらせてもらえるので、今思えばこんなに手厚い待遇はとても稀なことだと思う。

入学してすぐ、毎週のゼミで課題が課せられた。1年前期の課題は、指定された英文の教科書の内容のうち、次回のゼミで扱う数章分を要約してくるというものだった。演習では各章1人ずつが要約を発表し、それについて皆で討論する。もちろん全て英語。海外の大学院ほどではないが、それでも難解な英文を毎週100ページ以上。もちろん他にも受講している講義はたくさんある。最初は毎週の課題をこなすだけで精一杯だった。そして入学して2ヶ月もすれば実務がはじまる。活動のフィールドは海外にも広がっており、まさに怒涛の日々だった。細かく語っていくとキリがないので一旦列挙すると以下のようになる。

1年次
4月 入学
6-7月 JICA課題別研修学生コーディネーター
8-10月 ウガンダ教育スポーツ省にてインターンシップ
10月 韓国のソウルで開催された国際学会にて口頭発表
10月 国内の学会で口頭発表
11-12月 JICA課題別研修学生コーディネーター
12月 国内の学会で口頭発表
3月 カナダにて国際学会を聴講、アメリカのワシントンD.C.にて海外実習

2年次
4月 国内の学会で口頭発表
6-7月 JICA課題別研修学生コーディネーター
9-10月 ウガンダ総理府にてインターンシップ

ウガンダには2度渡航した。現地での活動についてはこちら。また機会があればもっと自分の言葉でも書きたいと思う。

JICA課題別研修事業

JICAとは政府開発援助の実施機関。政府間で取り決められた他国に対しての開発援助を具体的に実施していく役割を担っている。課題別研修事業とは、このなかでもいわゆる技術協力というやつ。僕が関わったプロジェクトは、途上国から教育行政官を招いて専門家による6週間ほどの研修を行い、各国の教育政策の改善に役立ててもらおうというもの。神戸大学、というか僕たちの研究室がその受託機関となり、JICAと連携しながら研修を行う。1度の研修で十数ヶ国から二十数名の教育行政官がやってきたりする。講師には国内の教授をはじめ、UNICEFやUNESCOなどの国際機関、世界銀行本部、ウガンダ総理府、及びラオス教育スポーツ省などから毎回二十数名の専門家が招かれた。なかなかの額の予算が動くであろうプロジェクトに携わりながら、学生はOn the Job Trainingで事業の実施に関する実務経験を積むことができる。僕が在学中にはこの研修が3回。僕は毎回ほとんど全ての講師との渉外を担当し、最後の研修では学生側のリーダーを務めた。

無理ゲー

通常の講義を受けて課題をこなしながら、毎週のゼミの課題だけでも、期末の試験勉強だけでも、毎回の研修事業の運営だけでも、自分の研究や学会発表の準備だけでもしんどかった。1週間のなかで何度も徹夜するようなこともよくあり、あっという間に体重が減っていった。仕事のやり方など、もっとうまくやれたことなどいくらでもあるが、それを差し引いてもなお、国際機関など競争の激しいなか活躍している人たちには、まさにアスリートのような仕事へのストイックさがあった。

実はこのあと、僕は留年することになる。留年自体は大したことじゃない。しかし問題は、心が折れたことだった。20代前半で、未熟ながらも自分の持てるものの全てをぶつけきた。その夢が一度へし折られることになったのだ。大学時代に世界の悲惨さと自分の無力さを知り、力の限り行動をしようと決めた心がへし折られた。ここから先のことは載せるかどうか迷ったけど、この道に限らず、挫折を味わったことのある人に何かメッセージが届けばと思い、書くことを決めた。つづく。

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☆今までの映像や普段のストーリーを、Instagramで発信しています。





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