見出し画像

たった一人のど素人テニス部員

こんにちは、Freelance Filmmakerの松浦竜介(りょうすけ)です。ウェブCMなどの映像コンテンツを制作しています。発信をしていくにあたって、僕自身の生い立ちから現在に至るまでの経歴を記事にしています。関心を持っていただいた方、一緒にお仕事をされたい方、なんだかよくわからないけど僕に絡んでみたい方、僕はこんな人間です。ぜひご覧ください。
----------------------------------------------------------------------------

高校 -硬式テニス部-

中学を卒業し、僕は地元の公立高校に進学した。
中学の時に一緒に遊んでいた仲間たちとは離れ離れになってしまった。
中学まで陸上に熱中していたが、高校では今までと違うことに挑戦してみたかったので、陸上を続けるという発想が全くと言っていいほどなかった。そして高校からは硬式テニス部に入部した。それまでテニスの経験は全くない。テニス部を希望した理由は父が高校のときにテニス部だった影響が大きい。また、自分のやったことのない球技で自分の力を試してみたいとの想いもあった。

門前払い

しかし入学早々に問題が起こってしまった。
硬式テニス部の入部説明会で、軟式か硬式テニスの経験者以外でなければ入部することはできないと、いきなり門前払いを受けてしまったのだ。入部試験すら受けることが認められない。全く納得がいかなかった。

後日、昼の放送でテニス部の入部希望者へのアナウンスがあった。仮入部の説明会を行うので入部希望者はその日の放課後に集まるように、とのこと。僕は急に気が変わったのかな、と思い放課後に会場へと向かった。しかし、会場に着くと残念ながらテニス経験のある入部希望者のみを対象とした説明会だった。もちろん僕は明らかに対象外だ。普通ならそこであきらめて引き返すだろうけど、僕は全く納得がいかなかったので、適当にごまかして仮入部してしまった。この決断が僕の高校生活を決定づけたとも言える。

入部試験

仮入部した新入生は、まずはじめに筋トレや走り込みで絞られる。この期間は2、3週間だったと思う。脱落しなかった者が入部試験を受けられる。トレーニングはなかなかハードで、いつも全身の十数カ所が筋肉痛になる。しかし結局脱落する新入生はほとんど出ず、最終的には20名ほどの候補者が残った。ただし、入部枠10名のうち7名までは、中学までのテニスの大会成績により最初から内定していた。残り3名の枠をかけた十数名の候補者の入部試験は、400m程のランニングコースを10周走るというシンプルなものだった。上位3名が入部できる。幸か不幸か、これは元陸上部の僕にとって有利としか言いようのない入部試験だった。
どしゃ降りの入部試験当日。テニスラケットの握り方も知らないど素人の僕は、2位に半周以上の差をつけてトップでゴールした。
しかし、入部できたことを喜んだのも束の間、ラケットでボールを打ち始めてからボロが出始める。当然ながらテニス経験者とど素人とでは、入部した瞬間からすべての技術に雲泥の差があったのだ。中学までは陸上やサッカー等でそこそこ活躍してきたはずの僕だったが、高校では最弱のテニス部員として入部した。


敗北の連続

入部してから気づいたことだったが、同級生だけでなく先輩も全員が高校入学以前からテニスを練習してきた経験者だった。部員の中で唯一僕だけがど素人というスタート。マンガのような展開だった。他校でも高校からテニスを始めるテニス部員は少なかった。周囲との3年以上の経験の差を承知の上で同じ土俵に上がり込んではみたものの、明らかに場違いな空間へと単身飛び込み、常に孤独との戦いだった。当然ながら周囲と比べると練習でのミスが目立つ。うまくいくまで皆の前で居残りになることもあり、それが重なってしまうとさすがに凹む。練習では自信を失うことばかりだった。その結果、試合で思い切ったプレーができず悪循環だった。正直いってめちゃくちゃかっこわるいテニス部時代だった。失敗を笑われることばかりだった。悔しくて部活全体での練習の後は毎日残ってサーブやストロークの練習をした。同級生と残ることもあれば一人で練習することもあ早朝や昼休みに練習することもあった。しかし、今になって思えば、恥をかいて笑われながらも、わざわざ新しい環境に身を置いてきたことは明らかに大きな経験値になっている。

呼吸するように新しいことをやる

小中高を振り返ってみて気づくことは2つ。
1つめは、次々と新しいことに挑戦することが僕の生来持っているクセだということ。今までやってきたことをそのまま続けていれば居心地がいいはずなのに、あえて自分からそのコンフォートゾーンを飛び出て、周囲から笑われてもまた新しいことを一から積み上げていく。振り返れば、そんなことを小学生の頃から無意識のうちにやってきた。高校までの段階でいくつものスポーツをある程度のレベルまで習得できたし、さらに大学に進学してからは無謀にもオーケストラでバイオリンを弾き始めることになる。気付いたらそうなっていたのだから、この生き方が僕にとって自然体なんだと思う。変化が激しい世のなかを生き抜いていくうえで、この力は今も僕を助けてくれている。

得意なことで勝負する

2つめは、苦手なことよりも得意なことの方が結果を出しやすいということ。これは当たり前のことにも思えるが、職場で延々と苦手な仕事を続けている人もいるはず。僕にとってはこの高校時代の経験がそれに近かったと思う。完璧な人間などいない。誰にでも得手不得手はある。ピカソがどれだけ絵がうまくても、IWGPのリングの上では絶対に勝てない。大切なのは、自分の苦手なことをしっかりと把握して、その土俵では勝負しないことだ。いろいろなことに手を出していると、自分の得意なことと不得意なことをだんだん見極めれるようになってくるし、その精度と決断のスピードも早くなる。僕は嫌々やるような苦手な仕事は早めに切るようにしている。同じ時間を使うならば、苦手なことよりも得意なことに時間を費やした方が、自分にとっても社会にとってもハッピーに決まっているからだ。高校時代、わざわざ新しい環境に飛び込んで試行錯誤していったことが糧になって、今では好きで、しっかり経済もまわせて、人の役に立てる仕事ができている。自分と仕事の境目がなくなっている。これまで恥をかいたり笑われたりしながら、それでも行動を重ねてきたからだと思う。
----------------------------------------------------------------------------

☆今までの映像や普段のストーリーを、Instagramで発信しています。


この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?