昔の話
雑談配信で話題が出たので忘れないうちに書き留めておきます。
いつもの朝だった。
通学路もいつも通りだし、田舎のわりには少ない車の数も変わりない。浩平と合流するタイミングも変わらない。ここの信号はいつも待たされる。だから待ってるうちに合流することになる。
ここからの道は人通りが多い。歩道が広い並木道だけど、綺麗に整備されているからかジョギングコースにもなっている。こんな田舎によくこんな、ちゃんとした歩道を整備したものだといつも思う。
「ジョギングのひとたち、また増えてるんじゃね?」
と浩平が言う。ブームかもしれない。僕たちはゆっくり歩いて学校に向かった。朝から走るなんてありえない。
遅刻ギリギリではあったけれど、間に合ってはいる。間に合っているからセーフだ。とっくにそれぞれの席に座ったクラスメイトの間を歩いて、僕たちは自分の席に座る。浩平は隣の席だ。
空いてる席は3つ。これは遅刻ではなく欠席だろう。またじわじわと増えている。
すぐに1限の先生が入ってきた。そのまま欠席については特に触れられることなく、授業が始まった。
それが最初に始まったのは1ヶ月くらい前だったと思う。もしかしたらもっと前だったのかもしれない。
何年も学校に通っていれば、誰だって体調を崩して欠席することはある。
普段全くそんな気配のない健康優良児だと少し目立つけれど、そうじゃなければ軽く流される程度の事象だ。
その健康優良児が立て続けに欠席したのが2週間ほど前のことだった。
みんな3日休んだのち復活した。前よりも元気なんじゃないかと思うくらいだ。健康優良児以外も欠席者が何人かいたのもあって、たちの悪い感染症が広がっているのではないかと噂はたった。しかし今のところ何もみつかっていない。
3日休んで元気になる。このパターンの欠席は、思えば2週間より以前にも散見されていた。健康優良児じゃないから気にされていなかっただけだ。だから、いつが発端かはよくわからないけれど、とりあえず1ヶ月前くらいだろうということになっている。
3日も休むわりには、あまり危険な状態にはならないらしい。いちばん体の弱いタイプの生徒が休んだ時も、彼らが死にかけたという話は聞かなかった。今ではもう誰かが休んでも、「まあ明々後日には出てくるだろう」くらいしか思われていない。
はずだった。
「やっぱおかしいと思うんだよ」
浩平はこの現状に納得していないらしい。目立つ異常がないとはいえ、学校を休むくらいのものではある。じわじわ増えているのも確かだ。
「でも大病院でも原因はわからなかったんだろ?」
僕の母が前にそう言っていた。隣のクラスの御曹司が金にモノを言わせて精密検査をしまくったけれど、何も見つからなかったらしい。発症してすぐに後遺症だけを残して消えてるんじゃないかとも言われている。
「それならこんなじわじわ増えるなんてありえないって」
……確かに。治っているなら感染ることもない。
「症状は発熱だっけ。咳とかはあんまないらしいな」
患った本人はあまり語らないけれど、親や兄弟のネットワークを使ってだいたいの症状は伝わっていた。解熱剤もあまり効かないので、寝る時よく魘されてるという。
「状況がおかしいってのはわかった。それで、お前はどうしたいんだ?」
僕は彼に視線を向けて話の先を促した。
「俺たちには精密検査なんてできない。図書館に行ってもネットで調べても、発熱って症状だけで原因を探すこともできない。それでできるならとっくに誰かが原因を特定している。
だからそれ以外を探すんだ。」
僕たちは放課後、理科室を目指していた。
この学校には"視える"と噂の先輩がいる。霊能力者を自称しているとかではないけれど、悪霊が視えるとか、未来が視えるとか、生霊を遠ざけるとか言われている。払うとか退治するとかそういう強い言葉が使われているところは聞かない。恋愛関連で悩む生徒がたまに相談に行っているらしい。
「あれは実質恋愛相談所だと思うんだけど、どうなんだ?」
僕は半信半疑だ。恨み関連の恋愛相談所としては優秀らしいが、わざわざ恨み関連と言われるからには、普通の恋愛相談は特筆することもないようだ。
「そもそも怪現象に遭う人も、それを相談する人もいないから目立ってないけど、見るだけならできる、っぽい。たぶん。そう聞いた。」
返事はだいぶ頼りないものだった。
「ああ、広まってるよね。なんか悪いモノ。」
先輩は授業ノートから視線を動かさないまま、ひどくあっさりとその答えを口にした。
「悪いもの、って……」
浩平も唖然としている。ダメ元のつもりだったようだ。
「取り憑いてる、ってのともちょっと違うんだけど。似たようなもん。
大元のヤツがどこかにいて、そこから感染するように広まってるね。分霊みたいなもんかな。熱出てるのは憑かれるのに抵抗してるから。元気になるのは、そんな分霊ぽんぽん生むような強いのに憑かれてエネルギーが余ってるから」
思考が追いつかない。妄想話ではないのか。証拠はない。だが、不思議な説得力がある。ああ、そういうことだったんだ、と情報が素直に入ってくる。
「そ、れは、なんかヤバいんじゃないんですか」
浩平が僕より早く思考を取り戻した。
「うん、ヤバいよ。初期に憑かれた人だと1ヶ月半くらい経ってるし、もうゾンビみたいになるんじゃないかなあ。もちろん腐ってないし、エネルギーも馬鹿みたいにあるんだけど、体の方は疲れ切ってる。それで体が鈍くなりつつ積極的に感染させようとするあたりがゾンビ。
そうなったら分霊の乗っ取りもそんな精密じゃないだろうし、動きもゾンビかもね。私はまだ見てないけど。みつけたら逃げたほうがいいよ」
待て。先輩はノートに落書きしながらなんでもないことのように言っているが、それはかなり大事じゃないか。
「解決する方法は、なんか無いんですか」
僕は真剣に聞いていた。妄想だと疑う気持ちはなくなってた。
「解決策ねえ……。
大元になってるヤツが憑いてる誰かを殺すとか、払うとかしたらいいと思うんだけど。たぶん。それで全部解決するはず」
「そんなことで?」
「そんなことって言うけど、今どれだけの人が憑かれてると思うよ?
親世代にだって広まってるしね。
私は誰が憑かれているかは視えるけど、それでも誰が元かなんて全然わからんいよ。特定したところで私に払えるわけでもないし」
包丁があれば殺すことはできるけどね、と先輩は笑った。
「あの話、どう思う?」
理科室から十分離れて、僕は浩平に聞いた。
「全部本当のことだと仮定しよう。どうせ科学調査なら警察なんかがさんざんやったあとなんだから、こんな調査してるのは俺たちだけだぜ」
「それはそうだな」
「俺たちなら解決できる、なんて思っちゃいないけどさ。何か起きてるのに何もしないで待ってるのが嫌なんだよ」
それには僕も同意だった。
それから僕らは、最初に憑かれたひとを探して動いた。
どのクラスでもだいたい教卓に放置されている出席簿を見れば、誰がいつ休んだかはわかる。最近休んだ人や一度も休んでない人は除外してよさそうだ。
そうして調べてる間に、発熱経験がある人と、兄弟が発熱した人の話をそれなりの人数聞くこともできた。これだけの人が憑かれているのかと怖くなる。
罹った日は睡眠欲に抗えず、夜更かししないまま寝てしまうらしい。聞く限りは、例外なく寝ているようだ。ここで無理して起きられたひとはいない。そして翌朝には熱が出ている。家族によると寝ている間は魘されていたらしい。
ただ、発症前日に何をしていたかを聞いても、どうにもみんな曖昧だった。登校して、授業を受けて、部活して、帰る。それだけだ。
最初期の発症者はおそらく37日前。7人いるが性別も学年もクラスも部活もバラバラだ。7人が同時に休んでいても、12クラスにばらけていると案外目立たないものらしい。
「こいつらの誰かが元になってるとしたら、そいつだけ早く休んでないとおかしいんだよな。」
浩平が調査結果を見ながら言う。
「こいつらは同じひとつの感染元と接触したってことか?」
彼らが休んだのは週の半ば。ひとりだけ感染時期がずれていたなら、同じ日に揃うわけがない。
「そういうことだろうな。
問題はその元が誰かってことなんだけど、みんな普通に部活して、バラバラの時間に帰ってるんだよなあ。これ以前に発症者はいないんだよな?」
「3日休んだやつはいなかったはず」
「でも大元が同じ症状とも限らないからなあ……」
その後も僕らは、門限ギリギリまで共通して接触していそうな誰かを探した。限界まで頭を捻ったけれど、共通点は特に見つからないまま解散した。
次の日、浩平は学校に来なかった。
ただ珍しく頭を悩ませすぎてオーバーヒートしただけ、なんてオチに一縷の望みをかけて連絡をするが、返事は要領を得ない。
"やべいてえ"、"くる"、"うはにかく」る"などのメッセージが届いているが、低頻度だし打ち間違いも多い。憑かれてんじゃないだろうな。
浩平がいなきゃ調査もやる気が出ない。
少なくとも3日は休みになりそうかな。
そう思っていた翌日の朝だった。
"俺になにがあってもお前はつづけろ"
起きたら浩平からメッセージが入っていた。
久しぶりに正しい日本語の、漢字が使われているメッセージだ。
憑かれたからって死ぬわけではないのだ。今生の別れみたいなことを言わないでほしい。
「おはよ! 心配かけたな!」
浩平復帰の日、会ったのはいつもの場所だった。
「元気そうだな。どうだ?なんか変わった?」
見た目に違和感はない。いつもより元気だなあと思うくらい。休みなのをいいことにたくさん寝たのだろうか。変わらない通学路の風景と合わせて僕を安心させてくれる。
「昨日まで魘されてたって母さんは言ってたけど、今はなんともないな。」
「そうか。元気そうでよかった。
授業のノートは特に取ってないから、まあ教科書読んでがんばれ」
休んだ間の授業ノートに関しては、お約束として言っておく。僕が真面目な生徒ではないことは、浩平が誰よりわかってるだろうけど。
「調査はあんまり進んでない。この3日で新しい出来事は起きてないし、あれ以上の情報も聞けなかった。
先輩にももう一回聞きにいったんだけどな。新しい発見はないらしい。増えたねえ、だとさ。あとは人が多いところはどこから憑くかわかんないから危険だとも言ってた。他人との接触回数を減らすことが大事だとさ。本当にウイルスみたいだな」
僕たちにとっては授業より大切な情報だ。特に浩平にとっては。
「なあ、」
特に今回は浩平という一連の現象に疑問を持つ者による体験談が聞ける。僕は期待して言葉を待った。
「どうせただの風邪だよ。調査なんかやめとこうぜ。」
憑かれた。
浩平が憑かれた。
少し元気な浩平だと思っていたけど、とんでもない。あれは浩平ではない。
憑かれてもなんか調子が変わる程度のことかと思っていたけど甘かった。
思考誘導。
急に怖くなった僕は、気付いたら駆け出していた。
綺麗に舗装された並木道を逸れる。人が少ない方、並木道からひとつ隣の道を、学校と逆に曲がった。通ったことのない道。こんなに学校まで近いのにそこには人っ子一人いなかった。
調査中も気になっていた。
知り合いなんか全然いない他のクラスに勝手に入って、出勤簿を勝手に見て、それを熱心にメモする。噂になっても仕方ないし、先生怒られても文句は言えない。僕らがしていたのはそういうことだ。
それが、何も問題ないまま、全クラス分完了した。
無関心なのだ。
さっきの浩平のように。
どんなに熱心に調査しても、憑かれてしまえば意味を成さない。先輩は憑かれないように行動できるけれど、解決する力もない。解決できる人は探せばいるかもしれないけれど、こんなローカルな情報がその人まで届くと も思えない。何も知らずに訪れるような観光地でもない。
道は行き止まりになっていた。
このままここら一帯が憑かれてしまって、ゾンビみたいに感染者を増やし始めて、やっと発覚するのだろうか。
何かの会社の裏の通路だけど、通れば表通りには出られそうだ。ひとひとりなら通れる程度の幅で、普段遣いされている様子はない。
不法侵入としてみつからないうちに足早で通り抜ける。
その出口で、何かに目を引かれた。
一匹の天道虫が、塀を歩いていた。
葉っぱも油虫もいないのに、こんなところで何をしているのだろう。
模様のドットはひとつ、ふたつ、みっつ、……一瞬の寒気。
何かが流れ込んでくる。思考を妨げる。唐突な理解。無理解。不可解。青い空。とうに遅刻している授業。上に下に歩き回る天道虫。下に。下にも。なにもないのに。なにも。
それは唐突に途切れた。気付くと僕の左手は天道虫を潰していた。
悪いことをしたとは思えない。きっとこいつが元凶だったのだろうと、僕の中の何かが理解している。
朝の空気が気持ちいい。
さっきまでの空気は、どこか重かったんだと思う。
髪を切った頭の軽さで始めて髪の重さを知るように、今気付けたその変化を噛み締めていた。
ひとしきり散歩を楽しんでからたっぷり2時間遅刻して着いた学校では、ぐったりと倒れた生徒が多すぎて、授業どころではなくなっていた。先生もけっこう被害に遭っているらしい。この騒ぎで僕の大遅刻も有耶無耶にならないだろうか。
隣の席の浩平は、倒れはしていないものの、とても疲れた顔をしている。回復したら質問攻めにしよう。
「元凶を払ったの?」
昼に廊下で先輩に会った。理科室以外で見るのははじめてだ。
「それとも、殺したの?」
「殺したよ」
僕がつい悪戯心でニヤリと笑いながらそう答えると、先輩は驚いた顔で一歩後ずさった。
「天道虫だったんですよ。学校前の並木通りにいました」
ネタばらしすると、先輩はからかわれたことに気付いたからかこちらを睨んできた。
「ふうん、そういうこと。だからあんなに走ってたのか。
引きこもるのにも飽きてたから礼は言っておくね。ありがとう。」
そう言って上品に微笑んだ先輩は、そのまま来た廊下を歩いていった。理科室に向かうのだろう。
僕は寝ている浩平を置いてひとりで学食だ。
全生徒の4割が寝ているらしいので、きっと空いていて快適なはずである。
その翌日から、朝の通学路でジョギングする人たちはほとんどいなくなった。
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というわけで、去年のどこかで見た夢(を元に細部を肉付けしたもの)でした。全体のストーリーは夢と同じ。
怖い話をしてほしいと言われたときに夢の話を出せるのは便利ですね。著作権とか気にしなくていいしね。
この飲酒オフコラボで話しました。
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